独白 愉快な“病人”たち

「まだ生きなきゃ」いまも乳がんと闘う大月絢美さんの覚悟

大月絢美さん
大月絢美さん(C)日刊ゲンダイ
大月絢美さん(歌手・37歳)=乳がん

 いろいろあって結婚式をしていなかったので、今年の4月末にやっと挙げました。この3月末に乳がんの再発がわかったからです。そう、「髪の毛があるうちに」ってことです(笑い)。

 急きょ決めたことにもかかわらず、学友や乳がん仲間など約150人が集まる盛大な式になりました。ドレスを用意してくれた人、イヤリングを作ってくれた人、ヘアメークをしてくれた人、引き出物のお菓子を作ってくれた人……みんなに協力してもらって本当にありがたい式でした。

 最初の乳がん告知は2015年12月です。自己触診で右胸内側のアズキ大のしこりに気づき、当時、乳がん治療中だった母と同じクリニックでエコー検査をしたのです。「良性」との診断があり、安心したのもつかの間、数カ月の間に鶏卵ぐらいの大きさになったので大学病院に駆け込みました。すると「ステージ3Cの乳がん」と診断されたのです。

 でも、それと同じタイミングで母の乳がんが複数転移していることもわかってしまい、自分のことより母のことがショックでした。

 それでも治療はしなければなりません。半年間の抗がん剤治療の後、手術で右乳房を全摘出。その後、2カ月の放射線治療を行い、さらに半年間の服薬というフルコースでした。手術以外はすべて通院です。放射線は、手術で取れない肋骨の裏の腫瘍をやっつけるために行われました。

 残念ながら私の抗がん剤治療中に母は他界してしまったのですが、せめてもの救いは、亡くなる前に入籍を母に報告できたこと。身内の死と治療を乗り越えるのに大きな助けになったのが主人の存在です。抗がん剤治療と手術の間に2週間ほど時間があったので、その間に2人で新婚旅行を兼ねた海外旅行をしたりして……(笑い)。なにより「普通」に接してくれることがありがたかった。無理に明るくするでもなく、淡々と日常を過ごせたことがとても貴重でした。

■ライブの途中で雷に打たれたような違和感を覚えた

 母の死から、精神的に歌うことができなかった私に、歌う場所を提供してくれたのも主人でした。彼の実家が喫茶店で、「あそこでライブやってみたら?」と。それから2年間、月1回ライブをやらせてもらい、順調に回復していると思っていた矢先、この3月に「再発」がわかったのです。

 ライブの途中で右の首筋から胸にかけてビリビリと雷に打たれたような違和感を覚えました。加えて、ちょうど乳がんができていた辺りにポチッと何かができていたので、検査をしてもらうと肺と腎臓と右鎖骨上リンパに「転移」が見つかりました。ショックでした。でも、心のどこかで「いずれ再発はあるだろう」と思っていたので割と冷静でした。

 とはいえ、今回は「ステージ4」です。乳がんのガイドラインでは根治治療ではなく「延命治療」のくくりになりました。抗がん剤も期間は無制限。がんが縮小して休薬はあっても、基本的には一生、抗がん剤とのお付き合いが続くのです。特に私のがんは「トリプルネガティブ」といって、化学療法については、抗がん剤しか効果がないといわれています。というわけで、脱毛しちゃう前に結婚式を挙げたんです。

 初めは「パクリタキセル」という抗がん剤を使いました。でも私の体には合わなくて、毎回発作を起こした上に、2クール(8週間)を終えたところで検査をすると、肝臓にも転移し、肺には水がたまり、各腫瘍も少し大きくなっていたんです。6月末から「ハラヴェン」という抗がん剤にしたら発作がなくなり、今のところ順調にきています。

 ただ、3割負担で1回6万2000円という高額な薬で、効果があるかどうかもこれからの検査次第です。幸いがん保険に入っていたので、経済的には助かっています。病気の再発がわかってからは、「今やれることをやろう」と主人とマレーシア旅行や、友人、家族と温泉旅行にも行きました。

 病気になって変わったのは、「誰かのために何かをしたい」と思うようになったことです。それまでは「自分の幸せ」が中心でしたが、弱い人の立場を知ることができて価値観が変わりました。BEC(乳がん体験者コーディネーター)資格を取得したのも、そんな気持ちから。せっかく乳がんになったのだから、私がやっている音楽と乳がん体験を融合させた活動をしたいと思ったのです。最近は、それができるようになってきましたし、おかげさまでやりたいことしかやっていません(笑い)。

 ステージ4になって、自分を大事にするとともに、周りの人を悲しませてはいけないと考えるようになりました。そのためにも「まだ生きなきゃ」と思いますし、そう、いろんな覚悟ができつつあるところです。

(聞き手=松永詠美子)

▽おおつき・あやみ 1982年、東京都生まれ。5歳で児童劇団に入団してテレビドラマなどで活躍。高校生から歌手を目指し、2009年にCDデビューを果たす。2011年に母親の乳がんが発覚し、2015年には自分の乳がんがわかった。その後、母の死を乗り越えて歌手に復帰。2017年には乳がん体験者コーディネーター(BEC)資格を取得した。ライブ活動と並行して乳がん体験者としての活動にも尽力。世田谷区立男女共同参画センター「らぷらす」の乳がん体験者サロンでは進行役を務めている。

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