独白 愉快な“病人”たち

「まだ生きなきゃ」いまも乳がんと闘う大月絢美さんの覚悟

大月絢美さん(C)日刊ゲンダイ

 でも、それと同じタイミングで母の乳がんが複数転移していることもわかってしまい、自分のことより母のことがショックでした。

 それでも治療はしなければなりません。半年間の抗がん剤治療の後、手術で右乳房を全摘出。その後、2カ月の放射線治療を行い、さらに半年間の服薬というフルコースでした。手術以外はすべて通院です。放射線は、手術で取れない肋骨の裏の腫瘍をやっつけるために行われました。

 残念ながら私の抗がん剤治療中に母は他界してしまったのですが、せめてもの救いは、亡くなる前に入籍を母に報告できたこと。身内の死と治療を乗り越えるのに大きな助けになったのが主人の存在です。抗がん剤治療と手術の間に2週間ほど時間があったので、その間に2人で新婚旅行を兼ねた海外旅行をしたりして……(笑い)。なにより「普通」に接してくれることがありがたかった。無理に明るくするでもなく、淡々と日常を過ごせたことがとても貴重でした。

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