がんと向き合い生きていく

統合失調症だから抗がん剤治療をしないという選択はない

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 Cさん(50歳・女性)は、2カ月ほど前から「宇宙人の声が聞こえる。私を非難している」と訴え始めました。時に興奮することもあり、家族が心配して近くのメンタルクリニックに連れて行ったところ、統合失調症と診断されました。すぐに内服薬を飲み始めたのですが、病状が好転しなかったこともあり、F総合病院の精神科に入院することになりました。

 それから1カ月後、統合失調症の症状は安定してきました。しかし、腹痛と肝機能検査で異常値があり、消化器科で検査したところ、膵臓がんで肝臓転移が見つかったのです。

 Cさんは消化器科病棟に転棟することになりました。担当のA医師はがんの告知によるショックを考慮し、Cさんには病名を告げないことを選択。手術は無理だったため、家族の同意を得て抗がん剤治療を行うことにしました。3剤の抗がん剤を併用する治療法でしたが副作用は少なく、難なく2コースを終了。その後、腹痛もなくなり、退院して自宅からF総合病院の外来通院治療センターで治療を継続することになりました。

 ある日、病院内のスタッフカンファレンスで、ある医師からこんな発言がありました。

「統合失調症でも抗がん剤の治療をするのですか?」

 これに対して誰からも声があがることはなく、治療はそのまま続けられました。ただ、担当のA医師はカンファレンスでの発言が気になっていて、後日、「統合失調症でも抗がん剤治療をするのかと聞かれました。先生はどう思われますか?」と、上席の医師に意見を求めました。すると、上席医師は次のように答えたそうです。

「統合失調症の多くの方は回復されます。心の病状が良く、体も抗がん剤治療に耐えられると判断できるなら、膵臓がんの担当医と精神科医が相談しながら治療するのがいいと思います。統合失調症だから抗がん剤治療をしないという選択はありません。効いてくれるといいですね」

■過去における偏見はひどいものだった

 いまでこそ統合失調症という病名になっていますが、以前は「精神分裂病」という偏見を感じさせる名称で呼ばれていました。そして、日本における精神病患者の扱いは、海外諸国から「ひどい人権侵害」と非難された過去があります。

「我が国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の外に、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」

 昔、都立松沢病院の初代院長だった呉秀三の言葉は、現在も病院の玄関に掲げられています。

 近年の日本では、「精神病者に対する入院隔離」という考え方は変わってきています。欧米の「地域生活中心、一般社会の中で暮らす」といういわゆるノーマライゼーション思想が受け入れられ、これまでは回復していながらも入院させていた患者を退院させる方向になったのです。

 また、新しい薬の開発と心理社会的ケアの進歩により、完全な、長期的な回復を期待できるようになりました。

 それでも、病気が良くなっているのに何十年も入院していた患者が退院して社会に出るには、いろいろな困難がありました。すでに親は亡くなり、兄弟家族からは「存在しない人」になっていた方も少なくなかったのです。そのため、精神科病院の中には、仕方なく入院病棟の一部の名称を「アパート」に変更したところもありました。良くなっても長く入院していた患者はそのまま入院を続け、“アパートの住民”となったのです。しかし、それでは「一般社会の中で暮らす」という考え方とは違います。

 日本は、人権が最も守られている国のようにいわれますが、過去における統合失調症への偏見や人権無視はひどいもので、今でも不治の病と誤解したイメージを持っている方もいます。個人情報の保護をしっかりと守りながら、がんになった場合でも、本人・家族・医療関係者がチームを組み、病気に立ち向かいたいものです。

 Cさんは、その後も外来で抗がん剤治療が続けられ、幸い食事もよく取れて心も体調も安定しているそうです。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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