テニスにたとえるなら、強いショットを繰り出すのではなく、相手が返しやすいやさしいショットを心がけ、できるかぎり長い時間、言葉の交換を続けるのである。こうした言葉の交換を続ければ、認知症の親も脳を動かすことになり、少なからず症状の進行を抑えることにもつながる。そうしたコミュニケーションのなかで、認知症の親の口から子どもを愉快にさせる言葉が出てくることもある。思わず笑いがこみあげて、その結果、親の機嫌もまたよくなる。
作家・エッセイストの阿川佐和子さんは、「ことことこーこ」(KADOKAWA)という作品で認知症の母と娘の日々を描いたが、その阿川さんが月刊誌(文芸春秋7月号)で認知症である自身の母親とのやりとりを明るくつづっている。
「『何でも忘れちゃうね、母ちゃん』と笑ったら、ムッとして、『覚えてることだってあるもん』『何を覚えてるの?』『うーん、何を覚えてるか忘れた』だって……」とほほ笑ましいエピソードを紹介した上で、「こんな機転のきいた返しができるなら、ずいぶん脳みそが動いてるんじゃないかしら〈中略〉いまの母も明るく可愛くぼけて、それなりに幸せそうです。私たちも、母との暮らしを少しでも楽しもうと考えています」と結んでいる。認知症の親との理想的な関係といっていい。
「私の名前を忘れてもいいんですよ。私は○○さんの名前を忘れませんから、安心してください」
冒頭のKさんは認知症の入居者との会話でしばしばそう語りかけるという。認知症の親への「合いの手」は、親を機嫌よくする「愛の手」なのだ。
後悔しない認知症