以前のお話ですが、若くてとても優しいMさんという看護師がいました。Mさんは他の看護師とは少しテンポというか、何かが違っていると感じさせるところがありました。もちろん医療事故を起こすようなことはないのですが、周りの医師や看護師はそうした“違い”を感じていました。それでも、医師たちは「Mちゃんだからしょうがないね……」と、むしろ可愛がっていたのです。
ところが、事件が起こりました。ある朝、長く闘病されて終末期だった胃がんの若い男性患者が亡くなりました。大変な悲しみの中で、Mさんともう一人の看護師が死後の処置(今はエンゼルケアと呼ばれる)を行うことになりました。数日間泊まり込んでいたご家族は、処置の間、朝食を取りに近くの食堂に行かれました。
2人で一礼した後、手袋をしたMさんがご遺体の手首に手を当てて言うのです。
「この患者さん、脈が触れる」
もう一人の看護師は「え!」と叫んで急いで脈を取り、先ほどご家族に「ご臨終です」と告げた担当で新人のA医師にすぐ連絡しました。A医師は医局から慌てて病室に戻ってきました。そして、手首を押さえて脈をみます。
A医師は「ん……?」と漏らした後、足の付け根(鼠径部)に触れて「脈は触れないよ」と口にしました。そして、瞳孔が開いているのを確認し、聴診器で心音は聞こえないことも確かめました。念のため心電図を付けましたが、心臓の波形はありません。心臓は動いていなかったのです。
A医師と看護師は、ご遺体に向かって「お騒がせしてすみませんでした」と一緒に頭を下げて謝りました。その後、ナースステーションに戻ってきたA医師は「ハアーッ」と大きく息を吐き、「オレ、まさか心臓が動いている患者さんに『ご臨終です』と言ってしまったのかと思ってしまったよ。まあ、Mちゃんだもんな……」と漏らしました。後でMさんは看護師長に叱られていました。
■自分自身の脈を感じてしまう場合がある
ショックなどで血圧が下がった状態では脈が触れにくくなります。この時、手首の橈骨動脈を探していて、患者さんの脈が分からず、間違えて自分自身の脈を感じてしまう場合があるのです。今回、患者さんはすでに亡くなられて脈がないのに、Mさんは自分の脈を感じてしまったのです。
脈の取り方には正しい方法があります。まず、人さし指、中指、薬指の3本で指を強く押したりしながら、手首の橈骨動脈を探し当てます。その後、脈の強弱、1分間に何回か(脈拍数)、不整脈があるかどうかをみます。脈の乱れは心房細動や期外収縮などで起こり、正確なことは心電図で明らかになります。自分の脈を取ってみて、不整脈がある場合は循環器科の受診を勧めます。
中国の医学(漢方)では、脈の勢い、硬さ・柔らかさなどから体全体を診るといわれます。尊敬する先輩から、脈で体が酸性血症(アシドーシス)かアルカリ血症(アルカローシス)かが分かると教えられましたが、これがなかなか難しいのです。
患者さんが病院で亡くなられた際、多くの場合は看護師が死後の処置を行ってくれます。口腔や肛門の処置、目や口が閉じない時など、ベテランの看護師は上手に対応してくれます。
ご遺体の化粧や希望する服を着せる場合は、ご遺族と一緒に行うこともあります。私が担当した若い女性患者さんが亡くなった時、彼氏が用意したウエディングドレスを着せたことがありました。思い出すと今でも涙が出ます。
亡くなっても人なのです。死体、モノではなくご遺体です。先ほどまでお話しできていた方も多いのです。魂が宿っていたのです。
哲学者の篠原正瑛は「ヒューマニティーの語源は『埋葬する』という意味、ご遺体を粗末にして人を愛することなどできるはずがない」と語っています。
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