独白 愉快な“病人”たち

糖尿病で右足切断の谷津嘉章さん「長州力の一言で発奮」

谷津嘉章さん
谷津嘉章さん(C)日刊ゲンダイ

「糖尿病」が原因で右足が壊死してしまい、6月25日に膝下7センチのところで切断しました。7月16日にリハビリ専門病院に転院し、毎日午前と午後の2回、1回40分ずつ、理学療法士についてリハビリをしています。ストレッチや筋トレ、義足で歩く練習をし、もう外を歩いていますが、病院の中とは違い、思わぬところに段差があったりするので気をつけています。退院は10月中旬かな。

 糖尿病は35歳の時、血液検査で「2型予備群」と言われました。母方が糖尿病の家系で、母方の叔父や兄も糖尿病なんです。叔父はそれで両目を失明しているから、糖尿病は怖いという自覚はありました。

 でも、まだ若いから大丈夫だろうって高をくくって薬を真面目に飲んでいなかったんですよね。しかも35~36歳というのは、プロレスラーとしてはまだまだ体をつくらなくちゃいけない時期。1万人以上のギャラリーの熱気に負けないパワーをつけなきゃいけないから、ガンガン食べて筋肉をつけ、友人や知人と、そして地方へ行けばスポンサーとも飲む。飲まないと相手にされなくなりますから。まあ、お酒は嫌いじゃないし、サービス精神旺盛でもあるから、ついついたくさん飲んじゃうんだね(笑い)。

 真面目に薬を飲むようになったのは55歳の時です。引退して、もう体をつくらなくていいから、食事制限にも取り組みました。1日1食、ご飯は発芽玄米。カリウムを落とす工夫もして。29歳と45歳の時に離婚を経験して子供はいないから独り身だけど、家事は得意で料理もできるんですよ。おかげで空腹時血糖値が120㎎/デシリットル、HbA1cは6%ぐらいで安定して、「この数値なら合併症は出ない」と言われていました。

 ところが去年の5~6月ごろ、右足の小指に靴擦れみたいなものができて、指が黒くなり、甲の方まで腫れたんです。

 抗生物質を飲み軟膏を塗ったら3カ月ぐらいで治ったんだけど、今年の3月に練習を再開したら今度は親指と人さし指の2カ所に血マメができてしまってなかなか治らない。1年前のことがあるから、抗生物質をちゃんと飲んで、6月2日の愛媛での試合に臨みました。

 でも、夜行バスで行って帰ってきて、7日になってもますます状態が悪くなっていた。それで大きな病院に行って強い抗生物質と軟膏を処方してもらい、ドクターに言われた通り1週間後、さらに4日後と通院したんだけど、その間に足がみるみる黒くなって……。爪が取れて皮がごっそりむけ、膿でブヨブヨになってめっちゃくちゃ痛い。歩くのも大変で「独りもんはつらいな」と思ったね。足がパンパンに腫れて、ニオイもひどかったですよ。

■手術前夜はため息を何百回ついたかわからない

 ドクターが思うより菌が回るのが早かったんでしょうね。最初は「指1本落とすかも」と言われていたのが、24日の午後に入院したら、「明日の午前中に切りましょう」と宣告されました。「えー!!」ですよ。イヤも何も、「進行が早いから、早く切らないと膝上や腿まで切ることになりますよ」と言われたら、「わかりました」と言うしかありません。

 とはいえ、手術まで十数時間しかない。その晩は眠れませんでしたね。ひと晩中、ため息を何百回ついたかわからない。「手術は痛いのかな」「片足になった自分の姿を見たくないな」「この先、どうなっちゃうのか」と不安でいっぱいでした。

 手術は下半身麻酔で行いました。目隠しはされたけど、ウィ~ンという音は聞こえるし、振動はくるし……まるで大工仕事のようでした。2時間の予定が3時間40分かかったのは筋肉も骨も太くて切断するのが大変だったからだと聞きました。

 手術の1時間半後には麻酔が切れたんですが、これがもう痛いなんてもんじゃない。看護師さんが痛み止めを持ってきてくれるだろうと夜中までガマンしてたら、2回ぐらい気を失いました。エンドルフィンが出たのか、一瞬モワーッと感じたりもしましたね。

「ちゃんと眠れたな」と満足できるまでに2週間、痛みがなくなるまでは1カ月ぐらいかかりました。ただ、今もまだ切ったところの断端を触るとピリピリしたり、幻視があります。プロレスラーはよく「体の痛みより心の痛みのほうがつらい」と言うけど、いやどうして、体の痛みもハンパないですよ。

 自分が足を切った翌日の26日、ライバルだった長州力が引退試合をやったんです。試合後に奥さんを抱擁して「(奥さんには)一番勝てなかった」って言ったとか。こっちは独身だから羨ましいのもあって、「なんだこのヤロウ」と思いましたね(笑い)。でも、「羨ましがってる場合じゃない」と発奮するきっかけにもなりました。こうなってしまったからには、運命だと受け入れるしかない。オレはオレの人生を行きますよ。

 JOC会長の山下泰裕さんや元首相の森喜朗さんが、「日本がボイコットした1980年のモスクワ五輪の幻の代表選手の中から、来年の東京五輪の聖火ランナーを出そうと検討している」というニュースを見ました。自分もその幻の代表選手だから、ぜひ聖火ランナーをやってみたい。義足でもできるところを見てもらいたいですね。 

(聞き手=中野裕子)

▽やつ・よしあき 1956年、群馬県生まれ。76年にレスリング代表としてモントリオール五輪に出場(8位)。80年に新日本プロレスに入団し、長州力率いる「維新軍」で活動後、ジャパンプロレスや全日本プロレスなどを渡り歩き、全日時代はジャンボ鶴田と「五輪コンビ」を組んで大活躍した。93年にSPWF(社会人プロレスリング連盟)を設立し、2010年に引退。19年に復帰して、この4月からDDTプロレスリングに参戦。

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