後悔しない認知症

「ボケたね」と言われ「そうだね」と笑い合える環境作りが大切

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写真はイメージ(提供写真)

「いやあ、参りました。よかれと思ったんですが、逆ギレされてしまって……」

 私が教えている大学の学生が困った顔で話す。途中から電車に乗ってきた高齢者に席を譲ろうとしたところ「余計なお世話だ」と相手の怒りを買ってしまったのだという。明らかに80歳を越えているように見えたし、足元もおぼつかなかったために席を立ったのに、というわけだ。現場で目撃したわけではないから、この高齢者を一方的に責めることはできないが、このタイプの高齢者が認知症と診断されると困った事態になるのではないかと思う。

「ボケたんじゃないの」などと自分の子どもに言われると怒りだすタイプだからだ。物忘れや言い間違いを指摘されるとからかわれたかのように感じてしまう。加齢とともに誰もが生じる「ボケ」症状といえるものだが、それをかたくなに認めない高齢者は、実際に子どもが認知症発症を疑い、医者に診てもらうことを勧めてもなかなか応じないこともある。その結果、発見が遅れることになる。初期の段階で診断や治療を受け、デイサービスなどを始めれば進行を遅らせることは可能なのだが、ボケを嫌悪するあまり、逆にボケにつかまってしまうことになる。

 医者である義理の息子の進言に従い専門医を受診したところ、初期のアルツハイマー型認知症と診断された知人がいる。以前、このコラムでも紹介したが、彼は「医者がそう言うんだから、オレは認知症だ」と素直に現実を受け入れ、進行を抑える効果が認められているアリセプトを服用しはじめた。現在84歳だが「オレもようやくボケの仲間入りだ」とアッケラカンとしている。もともと彼は著述家であり、自己啓発関連の本を世に出しているのだが、「認知症になった自分」をテーマに本を出版しようと執筆に励んでいる。「長生きしてせっかく認知症になれたのだから、少しは世の中の役に立ちたい」というのがその理由だ。実際、本が出版されたら私もぜひ読んでみたいし、「世の中の役に立ちたい」という知人の思いもリスペクトできる。

 認知症診断に使われる「長谷川式認知症スケール」の開発者であり、長年、認知症の研究をされてきた精神科医の長谷川和夫氏は、少し前に自らが認知症であることを公表された。その長谷川氏はこう述べておられる。

「僕が告白して講演などで体験を伝えれば、普通に生活しているとわかってもらえる。(中略)僕の話から多くの人が理解してくれれば、認知症の人の環境にもプラスになる」(朝日新聞DIGITAL2018年3月16日)。

「最近ドライバーが飛ばなくなった」「老眼が進んだ」「耳が遠くなった」といった肉体的な老化現象については比較的すんなりと受け入れるものの、ことが認知症となるとそれを認めたがらない高齢者、その子どもが少なからずいる。これは本人にとっても子どもにとっても不幸なことだ。老化による脳の萎縮によって最終的には認知症症状が必ず起こる超高齢社会においては、認知症は誰もが直面する、いわば「人間の変化」に過ぎない。ここで紹介した2人の認知症の高齢者のように、自分の認知症を受け入れ、前向きに生きることが大切なのだ。本人も子どもも「機能消失」を嘆くのではなく「残存能力」を愛でること。その上で、親がやりたいことを機嫌よくやる、やらせる。それが認知症の進行を遅らせることにつながる。「ボケたね」という言葉に対して「確かにボケたね」と親が笑って応じられるような環境づくりを子どもは心掛けるべきなのだ。

和田秀樹

和田秀樹

1960年大阪生まれ。精神科医。国際医療福祉大学心理学科教授。医師、評論家としてのテレビ出演、著作も多い。最新刊「先生! 親がボケたみたいなんですけど…… 」(祥伝社)が大きな話題となっている。

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