独白 愉快な“病人”たち

若宮三紗子さん語る全身性エリテマトーデスとの壮絶な闘い

若宮三紗子さん
若宮三紗子さん(C)日刊ゲンダイ

 最初にこの病気の可能性があると聞いたときは「変わった名前」としか思いませんでしたし、その後、確定診断されたときも「へぇ。で何それ?」という感じでした。

 元看護師だった母は国が指定する難病だと知っていたので、可能性があるという段階で泣いていましたが、23歳だった当時の私は事の重大さに気づかず、医師の「卓球は続けていいけど、走らないように」という言葉に「やった! 走らなくていいんだ」と心の中で叫びました。

 母も「あの時はうれしそうだったよね」と言うくらい顔がニヤケました(笑い)。それくらい走るのがつらかったんです。1キロ走るだけで息が切れてしまい、翌日は高熱が出る状態でしたから。

 異変は実業団に入った20歳を境に急に表れました。大好きだった甘い物が食べたくなくなったり、「日に当たりたくない」と思って紫外線を避けるようになりました。誰かに何かを言われたわけでも、美容のためでもなく、本能としかいいようがありません。後に医師から「甘い物と紫外線を避けたことが重症化しなかったことに大きく影響している」と言われました。いつものことが嫌だなと感じるのは体の声なので、その感覚は信じたほうがいいそうです。

 次第に足や膝、指などの関節、背中にも痛みが出て、激しい練習後には高熱が出る状態が2~3年続きました。その間、受診した病院では「はやりの風邪」と言われていたのです。

 そして2012年、国際大会が連続した後、急な高熱ではなく、微熱から日を追うごとに熱が上がり続け、数日後、39・5度から下がらなくなりました。体調が悪すぎるのでしばらく香川の実家に帰らせてもらい、子供の頃からのかかりつけ医を受診すると、点滴されたのはステロイドでした。約2時間で平熱になり、体からしんどさが引いていくのが分かりました。

 でも、翌朝はまた高熱が出て、再び点滴。それを数日繰り返したとき、医師から「全身性エリテマトーデス」の可能性を告げられたのです。その後、大阪の大学病院で確定診断されたのですが、特に治療の必要がないくらい軽症とのことでした。「走らないように」と言われて喜んだのはこの時です。

 その瞬間まで、チームの練習についていけないのは「メンタルの弱さ」だと思って自分を責めてばかりいたので、病気が原因だったとわかって救われました。

 でも半年後、海外の大会からの帰国時にまた高熱が出て、大事な国内試合に出られない状態になりました。それを機に少量のステロイド錠剤を服用することにしたんです。それからは、不眠という副作用のために睡眠薬も服用しながら国内外の試合に臨む日々が続きました。

 同時に生活改善を図り、個人で栄養士に依頼して食事チェックをしてもらい、トレーニングはひとりだけチームとは別メニューにさせてもらいました。睡眠に関しても、いろいろ試してパジャマから布団類まで、すべて買い替えました。海外遠征に行く時は、お米や缶詰、布団を持参していたので荷物は半端ない重さでした。飛行機の超過料金も、とんでもなかった(笑い)。でも、それが大変だとは思いませんでした。試合に勝てるならどれだけでもやろうと思えたんです。

 ただ、気圧の変化や時差が体に与える負担は大きく、だんだんとそれまで当たり前にやってきた努力がしんどくなっていきました。同じタイミングで主治医も「そろそろ薬をやめる方向にもっていきたい」と言うので、2016年のリオデジャネイロ五輪を区切りに海外遠征は最後にしようと決めました。

 五輪への出場はかないませんでしたが、依存性があってやめにくいといわれた薬から約2カ月というハイスピードで完全離脱し、引退したのは2018年3月。悔いはありませんでした。

■病気で人生を狂わされたとは思っていない

 現役をやめたら筋肉の負担が減って症状も軽くなり、今は高熱が出ることはほとんどありません。食事と睡眠のケアを続けながら普通に仕事ができています。

 病気から学んだのは、人に恵まれていたことに気づけたこと。栄養士、トレーナー、チームメート、スタッフ、両親……みんなが私を理解しようと努力し、私の人生を考えて最大限のサポートをしてくれていることを実感したんです。

 と同時に、目に見えることの裏側を考えるようになりました。実際、私も見た目には変化がなかったので、「サボっている」と思われてしまうことがありました。きっと、会社などでも心無い声につらい思いをされている病気の人がいると思います。でも、そんなことを言うのは「病気を知らない人、理解できない人」なんだと思って気にしないでほしい。

 こうした気づきは、人としてもスポーツ選手としても大きな学びでした。だからこそ、病気で人生を狂わされたとは思っていません。「もし健康だったら」なんてタラレバの話はしないと決めているんです。

(聞き手=松永詠美子)

▽わかみや・みさこ 1989年、香川県生まれ。幼少期から卓球を始め、立命館大学を経て日本生命の実業団選手として活躍。2010年から全日本選手権で女子ダブルス4連覇という偉業を成し遂げるほか、国内外の大会で数々の好成績を残す。2018年3月に引退し、初めて病名を公表。現在はTリーグの解説を中心に、講演会やパラリンピック関連、栄養コンシェルジュなどの資格を生かし、幅広い分野で活躍している。

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