8月中旬に訪れたベトナムで、日本の医療の素晴らしさをあらためて感じさせられました。
日本では昭和36年から国民皆保険制度が始まり、そろそろ60年になります。その間、1県1医大といわれるような医学教育が整備され、医療水準は、全国どこでも等しく高度な医療が提供される均てん化が進みました。
医者になるための国家試験、専門医になるための手続きなどに始まり、たとえ地方でも、保険診療で認められている医療を知らなければ、医者としては通用しません。国民皆保険制度があるために、そうしたものすべての水準が一定以上に維持されているのです。
一方、ベトナムの医学教育は、日本のようにどの医学部でも同じレベルの教育が受けられるようなシステムが整っていません。各医学部の自主性に任されているところがあって、難易度の高い医学部では高いレベルの医学教育を受けられますが、そうではない医学部ではそれなりの教育しかしてもらえないのです。そのため、研究者を志して地方の大学の医学部で勉強しても、国内トップクラスの研究者になるためのハードルが、ものすごく高くなってしまいます。地方の医学部では、地方の家庭医になるための教育しか受けられないからです。
現場で提供されている医療についても、それとまったく同じ状況です。ベトナムは、社会主義国で中央集権的な色合いが強い印象があります。大都市の医療機関には最新の医療機器などが揃っていて、高水準の医療が行われていますが、地方の病院は診断に必要な機器すらないところもあって、提供できる医療に限界があるのです。
実際、ベトナムでトップの病院は日本の先端的な病院と同じくらいのレベルの医療を行っています。ただ、高水準の医療が日常的に提供されているわけではなく、「やろうと思えばできる」という段階です。トップレベルの病院でも、日本の水準から見てみると20年くらい遅れている印象です。
■国民皆保険制度によって医師の質も担保されている
これが地方の病院になると、設備や公衆衛生も含めたすべてが40年は遅れています。
昨年、ベトナムを訪れた際はハノイとホーチミンという都市部の病院を視察しただけでしたので、ベトナムのような新興国でも、それなりの医療水準にあると感じました。しかし、今回訪問した地方の病院は想像以上に遅れていて、心電図がないから急性心筋梗塞の治療ができないといった環境でした。さらに、そうした状況をその地方の医者が「この地方の病院だからしょうがないんですよ」と受け入れてしまっている。こうした医者の考え方そのものも、日本とは大きく違っているのです。
日本のように全国どこに行っても保険診療で認められている水準の医療が受けられる環境は、ベトナムではありえないことであり、医者もそうした医療を提供するのが当たり前だと考えています。ベトナムのように「自分はこの地域の医者だから、この程度の医療だけを行えばいい」という医者が生まれてこない制度が整っていて、そこが日本の医療の素晴らしいところだと強く感じさせられました。
ベトナムのような社会主義の国家は、「都市部で暮らしていようが地方で生活していようが、国民は等しく同じレベルの医療を受ける権利がある」というのが本来の考え方です。しかし、実際は日本の方がそれに近い。よく「日本の国民皆保険制度は社会主義的だ」と言われますが、今回のベトナム訪問で、それも納得させられる部分がありました。
ベトナムだけでなく、中国、インドといったアジア諸国の医療をこれまで実際に目にしてきました。そのたびに日本の医療と国民皆保険制度の素晴らしさを再認識し、世界に誇れるものだと感じさせられます。
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