独白 愉快な“病人”たち

重病説まで流れて…たかまつななさんが語る虫垂炎性腹膜炎

たかまつななさん
たかまつななさん(C)日刊ゲンダイ

 複雑そうな病名ですが、盲腸の手術後に何らかの原因でお腹の中が炎症を起こして膿がたまってしまった――という病気です。一度退院して3日後には再入院したので、何だかんだで約1カ月間、病院で過ごしました。始まりは今年6月初旬、寒けのあとに腹痛が起こりました。グッとねじられるような痛みになってきた時、救急車を呼ぶべきかどうか相談できる電話番号(♯7119)にかけてみたのですが、つながらなかったので、タクシーを探そうと外に出て歩くことにしたんです。

 ただ、すでに歩くたび吐き気がする状態で、いよいよ草の茂みで吐こうとしゃがんだら、痛みでもう立ち上がれない状態になってしまいました。再び♯7119に電話するとめでたくつながり、「救急車を呼んだ方がいい」となって病院に……。ここまでがほんの1時間ほどの出来事です。

 病院に着いてからはあまり覚えていませんけれど、CTだの血液検査だのいろいろやりました。熱は39度に達していて、医師の話では「盲腸の可能性はあるけど、お腹はキレイなのでよくわからない」とのこと。まずは抗生物質で炎症を緩和する治療をして、しばらく様子見でした。

 でも、ずっと痛いし吐き気も続いていました。なのに「盲腸ならもっと痛がるはずだ」と言われ、病名はなかなか確定しなかったんです。3日後、開けてみないとわからないという状態で腹腔鏡手術となり、結局、盲腸を切除しました。

 全身麻酔から目覚めると、呼吸がうまくできなかったり、幻覚を見る体験をしました。しばらくは体液がたまる点滴みたいな袋をぶら下げていなければならず、あれはうっとうしかったです。それでも回復していき、1週間ほどで無事退院となったのです。

 3日後に再入院になったのは、熱がまた40度近く出てしまったからです。腹膜内が炎症を起こしていたようで、初めの数日間は点滴による抗生物質投与でした。でも数値が良くならなかったので、腹腔内の膿を抜くための手術になりました。

 体調もさることながら問題は仕事でした。たまたま講演会がたくさん入っていた時期だったので、代理を探すのに苦労しました。自分と同等か、格上の人を代理にするのが礼儀ですけれど、自分の事務所でタレントは私だけ。そんな時、手を差し伸べてくださったのが大手芸能事務所の方で、いろいろな先輩や同期の方々に代わりを務めていただきました。本当にありがたかったです。

 病名が確定しない間は重病説が流れたりしましたけど、当の私はネットで1日3~4本、映画や地方ドラマを見る毎日。入院が長くなると、入院経験のある先輩が連絡をくださったり、「これ面白いよ」と映画リストを送ってくれる方もいて、とてもうれしかった。

■仕事と命を天秤にかけたら、やっぱり命

 人生で初めてといっていいくらいゆっくりした時間の中で、自分の価値観を考えられた時期でもありました。それまでは、睡眠時間はいつも3~4時間でスキマ時間でも仕事をするくらいでしたから、病院で何もしない一日を過ごして夜10時に消灯されてもまったく眠れないんですよね。

 感じたことは、自分がいなくても会社や世界は回っているという疎外感……社会から断絶されたような寂しさでした。でも同時に「ちょっと足を止めてもいいんだな」と、今まで人にあれこれ任せられなかった自分を振り返りました。

 そして、弱い人の気持ちがわかるようになったのも人生経験として大きかったかもしれません。

 以前は体調が悪いから締め切りを遅らせるとか、会議のスケジュールを変更するとか、「何でだよ!?」と思ってましたからね。

 退院後は、仕事は緩やかにスタートさせました。私が働かなければ事務所の収入はゼロですから、すぐにでも貪欲に仕事をしたいところでしたが、仕事と命を天秤にかけたら、やっぱり命。生きていればこの先で取り戻せるんだと割り切れました。

 病気をして学んだのは、今働けていること、その環境を当たり前に思わないほうがいいということです。病気になったら仕事はおろか、歩くことや食べることもできないですからね。自分の足で歩けることの喜びや、好きな時に好きなものが食べられるってこんなに幸せなんだという感覚は、今後も持ち続けていかなきゃと思います。

 特に私は会社の取締役として仕事をスタッフに振る立場なので、「体を壊してまでする仕事はないんだ」とわかっていないと、無理をしたり無理をさせたりしてしまう。事実、「もう少し頑張ればもっといい教材(出張授業のための)になる」と思うとつい頑張ってしまったし、人にもそれを求めていました。でも、今は人を増やすことに力を入れています。お金はないんですけど、スタッフが無理をしているなら、アシスタントを1人雇えばいいと思うようになったんです。

 結局、健康でいないと何もできない。だから休息は大事。私がこんなことを言うなんて、環境は人を変えるものなんですね。

 (聞き手=松永詠美子)

▽1993年、神奈川県生まれ。中学生のとき「憲法九条を世界遺産に」の著者が太田光(爆笑問題)と知り、芸人を目指す。慶応大学大学院を経て芸人に。2016年に「㈱笑下村塾」を設立し、主権者教育の普及・啓発からコミュニケーション術まで、面白くわかりやすく講義するお笑い芸人による出張授業を展開。自身も取締役を務めながら小中高校から一般企業、教員研修まで幅広く出張授業をしている。最近は時事ユーチューバーの顔も持ち、著書に「政治の絵本」がある。

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