iPS細胞による心臓治療の臨床試験がいよいよ始まろうとしています。大阪大の研究グループが治験実施を申請したのは、iPS細胞から分化させた心筋細胞をシート状に加工して、重症心不全の患者さんの心臓に貼り付ける治療です。
iPS細胞による再生医療の研究は他施設でもヒトに対する臨床試験を準備していて、私もそのひとつで外部評価委員を務めています。いまはまだ治験段階でなんとも言えない部分もありますが、このまま順調に進めば重症心不全の患者さんにとって希望の光になり得る治療です。
iPS細胞は「未分化細胞」で、体のどんな器官にもなることができます。重症心不全の患者さんは心筋が衰弱して心臓のポンプ機能が働かなくなっているため、iPS細胞から分化させた心筋細胞のシートを直接心臓に貼り付けることで、新たな心筋による心機能の回復が期待されています。
現在、重症心不全に対する最終的な治療は心臓移植しかありません。衰えた心臓の代役として補助人工心臓を埋め込む治療も基本的には移植までの“つなぎ”になります。しかも、体内に人工物を入れるので感染症のリスクがありますし、血栓予防のために服用する血液をサラサラにする薬によって出血しやすくなるリスクもあります。そのため、すべての患者さんには適用できません。
そこで、さまざまな細胞を使った心臓の再生医療が研究されています。その中で、唯一いま行われているのが骨格筋芽細胞をシート状にした「ハートシート」を使う治療です。こちらも大阪大を中心におよそ10施設で実施されていて、60例限定で保険適用されています。
iPS細胞の場合と同じく、ハートシートを直接心臓に貼り付けるのですが、こちらは患者さんの大腿の筋肉から取り出した骨格筋芽細胞を使います。患者さん自身の組織から培養するため、シート状にした製品の品質にバラつきがあるのが現状です。重症心不全の患者さんは歩行が困難な状態であるケースも多く、その筋肉を使うと細胞そのものに機能的な限界があります。
また、筋肉のもとである骨格筋芽細胞は、心筋には分化してくれません。いわば心臓に湿布薬を貼るようなもので、砂漠のオアシスが枯れかけているところにちょっと水と栄養をまいてあげるイメージです。なぜ、それが心機能回復に効果があるのかというと、新鮮な細胞から「サイトカイン」と呼ばれる生理活性物質が放出され、それが血管を新生したり筋肉の状態を改善するためです。悪くなった心臓を少しでも良くしようという治療といえるでしょう。
■日本の技術同士がコラボした再生医療
一方、iPS細胞は心筋そのものにも分化します。砂漠に種をまいて水をかけ、オアシスをつくるイメージです。iPS細胞から分化させた心筋細胞をそのまま心臓に注入しても、もともと心臓は筋肉が豊富で常に脈打っているため、なかなか定着せず、数日から数週間程度で消えてしまいます。それが、シート状にして貼り付けるとしばらく残っています。その間に、衰弱した心臓の表面に心筋の膜が1層でも2層でも新たに作られれば、心機能の回復が期待できるのです。
iPS細胞は京都大の山中伸弥教授が開発した技術で、心筋シートも女子医大の研究チームが開発した技術です。今回の治験で行われる治療は、日本の技術同士がコラボした再生医療なのです。
動物実験では大型の部類でも有効性と安全性が確認されていて、かなり期待できるラインまで到達しています。手続きのうえでは、あとはヒトで確認できるかどうかの段階まで来たということです。
ただ、予想される課題があるのも事実で、そのひとつが「腫瘍化」です。iPS細胞は未分化細胞なので、心筋だけでなく他の臓器や骨、皮膚、髪の毛などさまざまな組織に分化します。ですから、心臓の中に余計なものができてしまう可能性があるのです。
とはいえ、iPS細胞をよりピュアにして腫瘍化が起こらないように安全性を確かめたうえでシートを作る技術がかなり進化しています。今回の治験も安全性が担保されているからこそゴーサインが出たといえます。今後のiPS細胞による再生医療の試金石となる治験に注目しています。
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