そして、こう書いています。
「医者が任命されたのは、できる限り命を救い、できる限り助け、そしてもう治せないときには看護するためではなかったでしょうか。医者である限り、彼は不治といわれている、あるいは実際、不治である患者に生きる価値があるとかないとかについて、判断を下す権利はないのです。また、その権利があると思い上がっては決してならないのです」
私から見て、母は心も体も苦痛があるようには見えません。きっと自分では何も分かっていないのです。それでも、母は私の生きる「希望」なのです。母には、このままでもいいから、認知症でいいから、ずっと生きていて欲しいのです。たとえ、母が私を誰だか分からなくなったとしても、ずっとずっと生きていて欲しいのです。
◇ ◇ ◇
意味のない延命なんてないのです。
がんと向き合い生きていく