「私はYさんから『チェッカー』に指名されました」
なんのことかと思ったが、説明を受けて、すばらしいことだと感心した。
知人がいう。知人と85歳になるそのY氏は、編集者と著者の関係。つきあいは40年近くになる。そのY氏が最近、軽度のアルツハイマー型認知症と診断された。
「オレ、認知症になったんだよ」とある日電話で告げられて、知人はどんな言葉を返せばいいのかわからなかった。しかし、Y氏は「長生きすりゃ、半分くらいは認知症になるんだから、オレだけは例外なんて思っていなかった」と妙に明るい。知人の戸惑いをよそに彼はこう続けた。
「オレの言動でなんか変だと思ったら、チェックして遠慮せずに言ってほしい。裸の王様にはなりたくないからね」
以来、知人はこのリクエストを受け入れ、折あるごとに「チェッカー」として「変」を指摘しているという。同時にやや耳が遠くなったY氏に配慮し、会うときは大きな声で話せる広めの喫茶店、あるいは彼のオフィスで会うことにしている。Y氏は知人の指摘に素直に耳を傾け、脳を悩ませ「軌道修正」を心がけているという。
知人は彼とのコミュニケーションの際、声の大きさ以外にとくに留意していることがある。①Y氏があいまいな相づちをした場合はわかりやすく再度話す②やや複雑な用件の場合はかならずポイントをまとめたメモを用意する③電話での込み入った話は避け、メールを多用する――の3つである。認知症になると、多くの人が「わからない」とか「もう一度説明してほしい」という言葉を避けるようになりがちだ。それを恥じる気持ちもあるし、認知症の症状として、「面倒くさい」が生じる。耳が遠いということも原因のひとつだ。そうした状況にあって、自ら「チェッカー」を指名したY氏は評価に値する。
■誤解が不信、不和、疎遠を招き、症状悪化
人間関係におけるコミュニケーションの不具合は誤解を招く。その誤解は不信→不和→疎遠→断絶をもたらす。人と接する機会が減ることは認知症の症状を悪化させる要因になる。そうならないようにするには、まず誤解を回避する手だて、仕組みが必要となる。Y氏が知人に「チェッカー」を依頼したことは、認知症対策としてじつに理にかなった仕組みづくりといえる。
最近、ある会社の「悲劇」を耳にした。その会社は創業者である夫と、70歳を過ぎて関与しはじめた妻が夫婦で経営していたのだが、数年前からそろって認知症の症状が表れはじめた。これまで一度も医者の診断を受けたことはない。現在、ともに87歳だが、物忘れがひどく、理解力の劣化も著しい。「3分ですむ報告、確認に3時間かかる」と社員は嘆く。その報告、確認もすぐに忘れてしまう。認知症特有の性格の先鋭化も進み、社員に対する罵倒は日常茶飯事、次第にブラック企業ぶりが目立ち始めているという。だが、2人には子どもはいないし、数年前まで会社に在籍していた親戚も退社した。それとなく認知症検査を勧めたことが2人の不興を買ったらしい。彼らには、「変」を指摘してくれる「チェッカー」がいないのだ。社員は気の毒としかいいようがない(もっとも、どこかの権力者のように「チェッカー」を敵視、排除する人間は多いのだが……)。
認知症がかなり進行してしまった状態ではむずかしいが、初期の段階においては子どもや家族が「チェッカー」となって「変」をサジェストすることは進行を抑えるために有効だ。もちろん、親が機嫌よく受け入れるために優しい表現方法が求められる。なによりも「迷惑だとは思っていない」を親にわかってもらいながら、諭すことが大事だ。親が「裸の王様」になる前に子どもがやれることはたくさんある。
後悔しない認知症