上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

研究は進むが…AIを使った診断と治療にはまだ課題が残る

順天堂大学医学部心臓血管外科の天野篤教授
順天堂大学医学部心臓血管外科の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ

 AI(人工知能)を使った心臓疾患に対する診断の研究が急速に進んでいる現状について前回お話ししました。ただ、現場で本格的に運用するためにはクリアしなければならない課題があるのも事実です。

 まずは費用の問題です。AIを使った診断や治療を実際に行うとした場合、システム管理料がどれくらいかかるのかが明確になっていないのです。われわれを含め、医療現場ではAIを使いたいという声が多く聞かれます。たくさんある抗がん剤の中で、どんな種類の薬をどう組み合わせて使えばいいのかについて、個々の患者さんのさまざまなデータを打ち込むことで最適な回答を出してもらうといったケースです。現時点では単発で頼むことはできるのですが、それを継続的に運用するとなると、たとえば1カ月の契約のシステム管理料がどれくらいになるのかがはっきりわかりません。

 AIシステムを提供する側の体制はまだ完全ではなく、実用レベルに到達するほど成熟していないという印象です。囲碁や将棋といったゲームなどわれわれの日常生活に影響が出ないような分野では問題ないのですが、実生活に直結する“営利”が絡んでくるとまだまだ穴があり、「AI」という名前だけがどんどん独り歩きしてしまっている側面があるのです。

 AIを使う医療者側の“準備”もまだ十分とはいえないでしょう。たとえば、AIが「この患者にはこの治療が最適である」と回答したとき、それが本当に受け入れられる判断なのかどうか疑問が残ります。先日、テレビ朝日系のドラマ「ドクターX」でもこんな場面がありました。AIがサポートに入った肝臓移植の手術中に血管が損傷して大量出血したことで、AIは「インオペ(手術中止)」を指示します。担当医はそれに従おうとしますが、そこに主人公の大門未知子が入ってきて、見事に手術を成功させる……というお話です。

 こうした患者さんの命がかかっているような極限状態では、どんなに優秀だとしてもAIによる判断は受け入れられないでしょう。

■「最適な回答」をすべて受け入れられるのか

 医師と患者はやはり「人対人」ですから、「AIが治療不可能と判断したから……」となっても、医師も患者も納得できないのは間違いありません。もちろん、われわれは診断や治療で早くAIが使えるようになってほしいと考えています。しかし、それには研究者、技術者、医療者による本格的な話し合いがまだ終わっていないのが現状なのです。

 医療分野でAIが本格的に広まるためには、患者さんの心構えも必要です。今年6月から、がん細胞の遺伝子を調べる「がん遺伝子パネル検査」が一部保険適用になり、これからデータがどんどん蓄積されてきます。近い将来、そのデータをベースに、どの医療機関でも使えるような巨大なAI搭載のコンピューターに分析・判断をさせて、「この患者さんは○歳になった時点でがんになる確率が○%」といった数字がはじき出されるようになるでしょう。

 そうなったときに備え、患者さんは「自分ならばどうしたいのか」を考えておかなければなりません。たとえば、仮に「5年後に乳がんになる確率が85%」だと診断されたとします。その場合、予防のための治療を受けたいと考える人もいるでしょう。しかし、まだ発病していないため、手術などの治療は保険診療として認められません。がん遺伝子検査は保険で認められているのに、そこからはじき出された回答から導かれる治療は保険適用されないままでいいのか。こうした議論もまだ成熟していないのです。

 ゲノム診断で乳がんリスクが高いとわかったハリウッド女優は予防のために乳房を切除しましたが、そこまで金銭的に余裕がある人は多くないでしょう。となると、がんリスクが高いと診断されても、実際に発病するまで何も治療を受けられない患者さんは、ずっと不安を抱えながら生活することになります。ひょっとしたらがんを回避できる可能性もあるわけですから、「それなら悪い情報は聞きたくなかった」という人もたくさんいるでしょう。ゲノムやAIによる診断結果を、良い情報も悪い情報もすべて聞いて受け入れるのか。患者側は考えておく必要があります。

 いまは、医師が患者さんに病状や治療について十分な情報を伝え、患者さんに納得してもらったうえで治療法を選択する「インフォームドコンセント」が欠かせない時代です。また、患者さんには知る権利もあれば、すべてを聞かない権利もあります。医療現場でAIを本格的に導入していくには、そうした医療倫理的な側面もいま以上に成熟させてからでなければ、大きな混乱を招くでしょう。

 課題をひとつずつクリアして、AIによる診断や治療が当たり前になる日が来るのを期待しています。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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