独白 愉快な“病人”たち

術後3日は人生最大の苦痛…Nosukeさん精巣がん語る

Nosukeさん
Nosukeさん(C)日刊ゲンダイ

 去年11月、検査の後で医師に「びっくりしないでくださいね」と言われた瞬間、「あ、終わったな」と思いました。血液中の腫瘍マーカーが5万5000という異常な数値を示していて、初めは「悪性リンパ腫、血液のがんです」と告げられました。結果的には「精巣がん」だったんですけどね。両方とも同じ腫瘍マーカーに表れるようです。

 発端は、昨年1月ぐらいからの腰痛です。ただ、ドラマーにとって腰痛は職業病のようなものなので、自分もそれだろうと思って整体や鍼でしのいでいました。でも5月に入ると、周りから「日焼けした?」とか「黄疸?」と言われるようになり、気になって病院を受診したんです。尿検査、血液検査、レントゲンを撮った結果、「肝臓は悪いけど黄疸はない。ただ、胃が荒れているので、お酒とたばこは控えて、食生活に気を付けて」との診断でした。

 言われたことを守り、筋トレなども始めました。でも、8月には食欲が減退し、痛みも増加。11月にツアーで全国を回り始めた頃は2時間ごとに目覚めてしまい、眠れないうえに胃の辺りを触るとポッコリ腫れていて、毎日夕方になると高熱が出るようになりました。

 周囲から「東京に帰ったら病院へ行け。行かなかったらメンバーから外す」と半ば脅されて検査を受けまして、がんが発覚したわけです。最終的には「精巣がんを原発とする胚細胞腫瘍」と診断されました。胃が腫れていると思っていたのは、じつは胃の下にできた直径15センチの腫瘍だったんです。

 治療はまず左の精巣を摘出して、落ち着いたら抗がん剤で胃の下の腫瘍を小さくし、開腹手術で腫瘍摘出という段取りでした。入院も手術も生まれて初めてだったので、すべてが未知で恐怖でしたが、精巣の手術も抗がん剤もイメージしていたよりもスムーズに進みました。途中、何を食べても味がしない味覚障害になったり、吐き気にも襲われました。でも、吐き気は打ち上げの夜の二日酔いよりマシでした(笑い)。

 4クール(約4カ月)の抗がん剤治療でみるみる数値が良くなっていくのが分かり、今年5月の腫瘍摘出手術の頃には、いろいろ慣れて余裕すらありました。

 ところが、腫瘍摘出手術は8時間の予定が大幅に延び、夕方に終わるはずが深夜1時までかかってしまったのです。腫瘍は2つあり、その1つが大動脈に巻き付いていて取りづらく、大量出血を伴って輸血もしました。

 術後の3日間は人生最大の苦痛でした。お腹の真ん中を縦に約30センチ切って、背骨付近の腫瘍を取り除いたわけですから、そりゃ痛いですよね。強力な痛み止めのせいで視界はピンク色になるし、管は6本もついていて、空気も満足に吸えず、一睡もできない状態の3日間は本当につらかった。時間の流れが異様に遅く感じて、ちょっとおかしくなりそうでした。でも、4日目になると少し眠れるようになり、5日目には激痛をこらえればトイレに行けるようになって、カテーテルが外れ、点滴が抜け……と日に日に回復し、12日間ぐらいで退院できました。家族やスタッフ、仕事の関係者にその報告ができたときはウルッときました。

 入籍して2カ月での出来事でしたけど、結婚していて本当によかったと思います。妻がいつもと同じように明るく接してくれたことにどれだけ救われたか分かりません。本当は陰で泣いていたかもしれないですけどね。

 実家の母親も僕には「不摂生を反省しなさい」と厳しめなことを言いながら、家では泣き崩れていたと弟から聞いたので、気丈に振る舞った母の言葉にグッときちゃいました。

■再発を防ぐために勉強を始めた

 ただ、がんは再発がある病気です。再発しないためにどうしたらいいのかが知りたくて、じつは勉強を始めました。

 妻の姉が紹介してくれた医師との出会いがきっかけでした。「がんとは何か」「抗がん剤の意味は」ということから、がん治療には抗がん剤以外にもいろいろな手段があることを知りました。もっと言うと、食生活でほとんどの病気は治せるということを学び始めたところです。

 薬で症状を抑えているだけでは、薬が切れたら元に戻ってしまう。そうではなく、体の中を病原体がすみづらい環境にすればいいんです。たとえば、がんの栄養となる糖質は分子構造がビタミンCと似ているので、がんが間違えてビタミンCを取り込んで酸化して死ぬ……とかね。栄養や生活習慣の中にいろいろな効果があるんだと分かっていくことがすごく面白いんです。

 食品の保存料にも要注意。僕は少なくとも棚に並んでいるものより、キッチンから出てくるものを食べるようにしています。

 (聞き手=松永詠美子)

▽のすけ 1989年、東京都生まれ。11歳からドラムを始め、岩田ガンタ康彦に師事。16歳からバンド活動をするとともにサポートドラマーとして活躍。2016年からバンド「HighsidE」でNosukeを名乗る。18年にマルチタレントのmisonoと入籍。アクロバットミュージカル、「サムライ・ロック・オーケストラ」でドラムを担当するほか、アーティストのレコーディングやライブに参加。現在は病気の経験を生かし講演活動も行っている。

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