独白 愉快な“病人”たち

日本語学者・山口仲美さん がん手術で抱えた“選択の悩み”

山口仲美さん
山口仲美さん(C)日刊ゲンダイ

 心臓発作や脳梗塞のような緊急を要する病気と違って、「がん」は時間的に少しゆとりがあるでしょう? だから、別の大変さがあります。「命に関わる選択」を自分で次々にしなくちゃいけない。

「大腸がん」が分かったのは2009年でした。その半年以上前から便に血が混じりだして、「痔だわ」と思っていたら、2センチ幅で便に血の帯がべったりつくようになった。「どうしよう」とまごまごしていたら、ちょうど区役所からがん検診のお知らせが来たので、検診を受けた。そしたら、すぐに精密検査が必要という通知が来た。

 私は大病をしたことがなかったので、どの病院にかかればいいのか見当がつかない。どこの病院にかかるか? がん患者のまず最初の選択の悩みです。私は、まず職場(大学)でがんになった同僚に聞きました。「どこの病院にかかりましたか?」と。すると、その同僚は、自分がかかっている病院の主治医に相談してくれた。そして、その主治医が、その病院の大腸がん専門の先生を紹介してくださった。そして、検査の予約も無事とれた。ここまでは、とんとん拍子だったの。

 でも、この後、私の病状を聞いた他の同僚が、親切心から、大腸の内視鏡検査の名医を紹介してくださったんですよ。テレビにもたびたび出演していらっしゃる名医。そして、その名医自ら私に電話をくださって、「検査をしてあげるからいらっしゃい」と言ってくださる。

 いやいや、悩みましたよ。どちらの病院にかかったらいいのかと。

 頭を冷やして考えた。まず、内視鏡検査の結果、がんであることが確定した場合は手術になる。すると、名医の病院を選択すると、手術は他の医師がしてくださることになる。その医師の腕は、定かではない。それから、名医のいらっしゃる病院は、私の家から通いきれない場所にある。がんの治療は1回で終わることはないので、自宅から通える場所でないと困る。

 そんな2つの理由から、最初の同僚が紹介してくれた病院に決めました。

 私は、結局、内視鏡検査の結果、大腸がんであることが判明。1度目は内視鏡で切除。さらにリンパ節に転移している可能性があったので、腹腔鏡下の手術も行いました。

■意思決定できたのは予定日の2日前

「膵臓がん」が分かったのは、それから4年後です。大腸がんの4年目検診に行ったら、「CA19―9」という腫瘍マーカーが基準値の3倍になっていた。膵臓がんの時に上昇する数値です。大腸がんの時の主治医は、すぐにCT検査と超音波検査をしてくださった。でも、異常なし。この先生は粘り強い方だったんですね。今度はPET検査をしてくださった。そしたら、膵臓にブドウ糖が集積。それからMRIを撮ったら、膵臓に15ミリ大の腫瘍があると出た。ただちに、膵臓がんの担当医に回され、手術の日程が決められた。

 ここで、2番目の選択の悩みが訪れます。手術をすべきか、それともこのまま自然に任せるかという選択です。当時、「膵臓がんは、手術しても効果がないので、そのままにしておく」という風潮があった。

 膵臓がんの5年生存率はきわめて低く、わずか数%。手術しても無駄かもしれない。だったら、手術は受けないことにしようか。

 でも、このまま座して死を待つというのは、自分の生き方ではない。ダメでもともとなら、手術を受けよう。そういう気持ちも襲ってくる。手術を受けると意思決定できたのは、何と手術予定日の2日前だった。その決意を促したのは、次の2つの理由でした。

 1つは、膵臓がんで亡くなったスティーブ・ジョブズさんの記事です。彼は、膵臓がんが見つかった時、手術ではなく、代替医療を選んだ。でも、それはダメだった。死の直前まで、彼は最初に手術を選ばなかったことを後悔していたという記事です。

 もう1つは、セカンドオピニオンを仰いだ先生が「あなたが私の家族だったら、どんなことをしても手術を受けさせます」と言ってくださったこと。

 幸い、大腸がんの時からかかっていた病院は、難易度の高い膵臓がんの手術も見事にこなしている病院でしたので、その病院で予定通り手術を受けました。確かに膵臓がんの手術もうまかった。

 さて、手術の後には、がん患者には、3番目の選択の悩みが襲ってきます。抗がん剤治療を受けるか受けないか。抗がん剤治療が生存率を少し上げるというデータがありましたので、受けましたが、つらくて挫折寸前。

 第4に襲ってくるのが、主治医との相性の問題。私の場合は、膵臓がんの手術をしてくださった外科医がそのまま抗がん剤治療の主治医になった。

 でも、この先生、手術の腕も一流なんですが、患者の心を萎えさせる名人でもあった! 何か質問すると、すごく怒る。「あんたのような人ががんを再発させて死ぬんだ」なんて、平気でおっしゃる。悩んだ末、抗がん剤治療の主治医を他に代えました。やっぱり患者を元気に頑張らせてくれる先生でないとネ。

 がんになっちゃったら、頑張って納得のいく選択をしましょうよ!

(聞き手=松永詠美子)

▽やまぐち・なかみ 1943年、静岡県生まれ。お茶の水女子大学卒業、東京大学大学院修士課程修了。実践女子大学、埼玉大学、明治大学などの教授を歴任。現在は、埼玉大学名誉教授。専門は日本語学。古典の文体研究、オノマトペの歴史研究などで著名。日本古典文学会賞、金田一京助博士記念賞、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。2008年には紫綬褒章も受章。18年から「山口仲美著作集」全8巻(風間書房)を刊行中。現在5巻まで刊行。

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