上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

感染性心内膜炎の増加に含まれる見直すべき「キーワード」

順天堂大学医学部心臓血管外科の天野篤教授
順天堂大学医学部心臓血管外科の天野篤教授(C)日刊ゲンダイ

 薬物乱用に関連した「感染性心内膜炎」の発症が増えている――。米国クリーブランドクリニック循環器内科の医師による研究報告には、現代人と現代社会が抱えている問題点がいくつも含まれています。

 感染性心内膜炎は心臓の内部の構造物に細菌が取りついて起こる感染症です。弁膜に巣くって弁を破壊し心臓弁膜症や心不全を引き起こしたり、形成された細菌の塊が脳の血管に飛んで脳梗塞の原因になるケースもあります。前回は、現代人の心臓の構造が脆弱になってきていて、細菌感染が起こりやすくなっていることについてお話ししました。

 体の構造だけでなく、感染性心内膜炎には「公衆衛生の低下」が大きく関係しています。上下水道の整備が不十分で、不衛生な飲食物を口にする機会が多いと、それだけ細菌感染のリスクがアップするからです。

 米国の報告では、患者の42%は所得四分位階級の最も低い階級に属していて、最も増加率が高かった地域は中西部でした。これは、米国では貧富の格差がさらに進んでいて、低所得者層が集まっているような地域の公衆衛生に問題があるという米国の社会状況を表しているといえます。そうした地域では、薬物乱用の問題も深刻です。報告した医師も「全国規模で深刻な公衆衛生問題への対策を展開し、地域でもリスクの高い患者に特化した対策を行っていくことが必要だ」と警鐘を鳴らしています。

 かつての米国は、日本から見ると資源が豊富なうえに先進的な科学技術を有し、経済的にも豊かで国民の生活水準が高い“憧れの国”でした。しかし、近年は雇用の不均衡、移民やホームレスの急増といった社会問題、高齢化や超肥満の人々が増えているといった健康面の問題など、人間の生活の構造の歪みがどんどん出始めています。そこに貧富の格差が重なり、さらに公衆衛生の格差が加わったことで、感染性心内膜炎の発症が増える状況が揃ってしまったのです。

 もちろん米国はいまも世界トップの先進国ですし、ITなどの科学技術はうらやましいくらい急速なスピードで進んでいます。しかし、“良い方向”と同じくらい“悪い方向”にも進んでいる印象です。公衆衛生が整っていないことで病気が多いというケースは、インドやベトナムといったアジアの開発途上国で多く見られます。これまで私も現地で直接、目にしてきました。いまの米国はその部分が逆戻りしているといえるでしょう。

 そう考えると、米国で報告された感染性心内膜炎の急増は、世界中の開発途上国でも同じように起こる可能性があります。貧富の格差に加え、法的秩序が乱れて薬物乱用が増えれば、発症の条件がさらに整うことになります。

■感染症との「いたちごっこ」はまだ続いている

 医学がまだ進歩していなかった時代は、先天性疾患がある人や感染症にかかりやすい体質の人は早くに亡くなっていました。そうした病気にならない人が生存競争を勝ち抜いて生き残り、人類を増やして社会を発展させてきた歴史があります。それが、医学の進歩によって脆弱な条件を持っている人も生き延びることができるようになり、そうした人々も含めて一緒に構築する社会が実現しました。近年になって起こっている感染性心内膜炎の急増は、医学の発展によってもたらされた現代社会が、かつての生存競争を勝ち抜いて生き残った人々だけが構築してきた社会と適合しなくなりつつあることの表れかもしれません。

 人類と感染症は、抗生物質によって克服したと思ったら、抗生物質が効かない新たな細菌が登場するという「いたちごっこ」がずっと続いています。そうした進化の闘いと限界、薬物乱用を生む社会環境、生活格差、公衆衛生の格差……。感染性心内膜炎の増加には、そうした現代社会が抱える問題や歪みであるキーワードがたくさん含まれているのです。いま一度われわれは立ち止まって、正すべき点を考え直す必要があるといえるでしょう。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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