独白 愉快な“病人”たち

作家の篠田節子さん ブラジャーのシミで乳がんが発覚して…

篠田節子さん
篠田節子さん(C)日刊ゲンダイ

 右乳房の再建手術をしてから、ちょうど1年。再建した方と天然の方はさわり心地が全然違います。たとえるなら、本物は大福で偽物はグミ(笑い)。

 還暦すぎで乳房再建なんてあり得ないと初めは思ったのですが、趣味の水泳で補正パッドが水着からすっぽ抜けて水面にプカプカしている光景を想像してしまって。担当医の先生は「するならすぐに整形外科の先生の予定を押さえます」と受話器に手をかけているし。勢いで「お願いします!」って頭を下げていました。結果的には胸元の開いたフォーマルドレスも着られたし、よかったですね。

「乳がん」が分かったのは、2018年2月、ブラジャーの内側に付いたシミがきっかけでした。灰色っぽいシミが乳頭部分にあったので、すぐにネット検索したんです。すると「乳頭から分泌物がある場合、まれにがんの可能性もある」と。

 さっそく病院の乳腺科を受診。問診、触診、マンモグラフィーでは「異常なし」だったものの、エコー検査で1・5センチの塊が発見されました。しこりはなく、症状としては分泌物だけだったので乳腺科のイケメン医師に胸をぎゅうぎゅう絞られ、出た分泌物を検査。その後、針生検で組織を調べたりして「乳がん」と診断されました。ステージ1~2の浸潤がんでした。

 うろたえている暇もなく治療に当たって必要な選択肢を提示され、判断を迫られました。まずは手術する病院。次は乳房温存か切除か。そして、そのままか再建か……。

 そこで頼りになったのは、作家で医師でもある知人や音楽仲間のお医者さんでした。その方々に相談のメールを送り、最新の情報を踏まえた助言をいただけたことが、ありがたかったです。

 これは、病気から学んだことですが、相談するなら、親族・親友より大して親しくなくてもいいから専門家です。ネットの情報はあてにならないし、友達の乳がん経験者も10年も前のことなら、事情はすっかり変わっています。

“どこかで一度名刺を交換して一緒に飲んだことがある”ぐらいの人でも、自分の専門に関わることでは親身になって有益な情報をくれるものです。

 初めは知人の乳がん経験者がほぼ温存手術だったので、当然のように自分もそちらのつもりでしたが、乳腺科の先生にはがんの位置や形状から全摘を勧められました。

 無理に温存しても乳房が変形しパッドやブラジャーで補正するのに苦労するとのこと。その後の検査で、意外に病巣が広くて温存は無理と分かり、全摘出手術となりました。

■全摘して8カ月後に再建手術

 前述の通り、その場の勢いもあって乳房再建を選択したので、乳房切除と同時にティッシュエキスパンダーという組織を伸ばすための装置を埋め込みまして、8カ月後に再建手術をしました。

 再建後はかゆみに悩まされました。人工乳腺バッグ(シリコーンインプラント)が胸の中で固定されるまでテープで持ち上げていなければならず、皮膚がかぶれるのです。とはいえ、放射線や抗がん剤治療はせずに済んだので助かりました。

 現在はホルモン療法を継続中です。再発予防のために女性ホルモンをカットする治療ですので副作用もあり、骨粗しょう症になりやすいというのもそのひとつ。適度な運動がいいらしいので、私は趣味の水泳に加えて階段を意識して使うようにしています。特に階段下りがいいみたいですよ。

 3カ月に1度、検診に行って、右胸の経過観察とともに左胸やほかの臓器への転移がないか診てもらっています。寒さや体調によっては患部にシクシク痛みが出ますが、特別心配はしていません。

 実は私の胸にも入っている人工乳腺バッグに、その後リコールがかかりました。不具合があると回収を呼び掛けるアレです。何でもリンパ腫を起こす危険性があり、海外で死者が出たとか。とはいえ確率的には極めて小さいですし、もう胸に入ってしまっているものをぱかっと出して返品というわけにもいかないし。用心深く経過を診ているので大丈夫でしょう。

 食生活で努力しているのは、赤身の肉を食べること。肉は苦手なのですが、ある日、朝から撮影で疲労困憊していた折、たまたま牛赤身肉をごちそうになって、1時間後、スーッと疲れが抜けていくのが分かってビックリしたんです。元気な高齢者は肉好きだとも聞きますし、「牛肉の赤身はすごい」と身をもって体験したので、つらいけれど無理して食べるようにしています。

(聞き手=松永詠美子)

▽しのだ・せつこ 1955年、東京都生まれ。90年に「絹の変容」で小説すばる新人賞を受賞し作家デビュー。97年には「ゴサインタン」で山本周五郎賞、「女たちのジハード」で直木賞を受賞。その後も「仮想儀礼」「スターバト・マーテル」「インドクリスタル」などで受賞し、2019年には「鏡の背面」で吉川英治文学賞を受賞した。母親の介護と自身の乳がん治療を記録したエッセー「介護のうしろから『がん』が来た!」など著書多数。

関連記事