ここ数年、日本では性感染症の「梅毒」が増えています。1990年代以降は患者数が年間1000人を下回っていましたが、2010年ごろから増え始め、17年には44年ぶりに感染者が5000人を突破。18年は6900人を超え、現行の集計方法になってから最多の感染者数を記録しました。梅毒は、スピロヘータ科に属する「梅毒トレポネーマ」という細菌に感染することで起こります。主に保菌者との性行為によって接触した粘膜や皮膚の小さな傷から体内に侵入し、感染を放置したまま長期間経過すると、心臓、血管、脳といった複数の臓器に重大な病変を引き起こし、最悪の場合は死に至ります。
梅毒による心臓の病変でいちばん深刻なものは梅毒性大動脈瘤です。感染後に治療せず10年ほど経過すると、血流に乗った細菌が大動脈で炎症などの問題を引き起こし、大動脈の壁が弱くなって一部に瘤をつくるケースがあるのです。細菌感染による大動脈瘤は破裂しやすいといわれていて、突然死するリスクも高くなります。
ほかにも、大動脈が裂けて死亡リスクが高い大動脈解離を招いたり、冠動脈が詰まって狭心症が表れる場合もあります。また、細菌が大動脈弁に巣食うと大動脈弁逆流を起こします。
ただ、ここまで悪化するのは第4期(感染後10年以降)で、最近はほとんど目にしなくなりました。梅毒にはペニシリン系とセフェム系の抗生物質がよく効くので、早期に治療を開始すれば進行せずに完治するのです。とはいえ、流れが変わってしまった今後は増える可能性もあります。自覚症状がないまま進行するケースもあるので、感染の不安がある人は定期的なチェックが大切です。
梅毒は心臓手術にも大きな影響を及ぼします。患者さんが感染したままの状態で手術を行うと、医療者側に感染するリスクがありますし、院内感染にもつながりかねません。また、手術を受けると患者さんの抵抗力が一時的に衰えるため、感染があると病状が悪化したり、他の合併症にもかかるリスクが上がってしまうのです。
そうしたことから、かつては梅毒が院内感染の要因として最も警戒され、術前のスクリーニング検査が重視されていました。しかし、効果的な抗生物質の普及で感染者が激減したことで近年はそれほど注意されなくなり、一時期は「TPHA法」と呼ばれる血清検査で抗原抗体反応を見て、梅毒の既往があるかどうかを含めて確認するだけにとどまっていました。最近になって梅毒感染者が増加傾向にあることから、再び術前のスクリーニング検査が重要になってきています。
近年では、エイズの原因であるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染している患者さんは事前に医療者に申告してくれるのですが、梅毒は本人が感染に気付いていないケースもあるため、なおさら注意が必要なのです。
■あらためて「性病教育」の徹底が望まれる
手術を予定している患者さんが梅毒に感染していた場合、早急に梅毒トレポネーマを駆逐しなければなりません。まずは感染症の専門科に相談して外来で治療を受けてもらい、完治してからあらためて手術を行います。いまから20年以上前になりますが、梅毒に感染していた患者さんの手術を同じ手順で実施した経験があります。
もっとも、いま何よりも重要なのは、梅毒の感染者を再び減らしていくことです。一時は激減していたものが急増してしまったのは、根絶の一歩手前まできて医療関係者が集中力を切らしてしまったからでしょう。
いまの梅毒は、男性だけでなく、20代を中心とする若い女性にも急増しています。これは、若い世代に対して梅毒の知識や情報を教育する機会が減ってしまったことが大きな原因といえるでしょう。国や公的機関は若い世代に対して梅毒も含めた「性病教育」をあらためて徹底して行い、性風俗の乱れを正していく必要があると考えます。
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