独白 愉快な“病人”たち

気付いたら管を何本もつながれ…国府弘子さん語る急性心筋梗塞

国府弘子さん
国府弘子さん(C)日刊ゲンダイ
国府弘子さん(ジャズピアニスト・60歳)急性心筋梗塞

 当初は11年前に患った「乳がん」のお話をするはずでした。でも、スケジュールを調整している間に、何と「急性心筋梗塞」で緊急入院という事態が起こったので、幸か不幸か最新の病気のお話ができることになっちゃって(笑い)。

 緊急入院したのは2019年の11月半ば、とある先輩の追悼コンサートの日でした。実はその日、うっかり忘れてしまった衣装を購入するため、リハーサルと本番の間にマネジャーと2人で、ホール近くの駅ビルへ出かけたのです。「少ししんどいな」と思ってベンチに座ると、急に心臓の辺りをギューッとわし掴みされるような痛みに襲われました。痛みは波のように寄せたり引いたりしていたのですが、マネジャーがすぐに救急車を呼んでくれて、アッという間に乗せられたことを覚えています。

 たまたま倒れた現場から救急病院までは徒歩で10分の距離。しかも心臓救急がある総合病院でした。あれよあれよという間にガラガラとストレッチャーに乗せられて手術室へ……。気が付くと服を脱がされ、下の毛を剃られていました。思わず「えー?」となりました。だって痛いのは心臓ですから、「何でこんなことになっているの!?」って(笑い)。

 そうこうしている間に足の付け根の血管からカテーテルを入れられて、「うそー」と思いながら、モニター映像でカテーテルが自分の血管の中を通っていくのを見ていました。局所麻酔なので意識があり、手術室に聞き覚えのあるジャズが流れていたのがうれしかったことを覚えています。

 ふと時計を見ると午後3時だったので、執刀の先生に「あの、すみません。今日すぐそこの会場でコンサートがあって、6時に行ければ何とかなるのですけど……」と言ってみたのです。

 すると、「アホちゃうか!」と先生が烈火のごとく怒って、私の顔にグッと顔を近づけて「あんたの心臓は壊死しているかもわからん。急、性、心、筋、梗、塞! 脳に行ってたら何梗塞や!?」と叱られました。

 でも、その関西弁の勢いに思わず「ここで阪神高速とか言った方がいいのかな」と一瞬ボケがよぎったのも、はっきり覚えています。結局、「コンサートどころやないで」とダメ出しされて、気付いたら管が何本もつながれた状態で集中治療室にいました。

 おかげさまで心臓に壊死はなく、1週間足らずで退院できました。すぐに救急車を呼んでくれたマネジャーをはじめ、先生方の早い処置のおかげで無事に生還できました。救急車の中で名前を聞かれ、ろれつが回らず「ひろこ」が「ひよこ」になった時は自分でも驚愕しましたが、「これはいかん!」と思って手術室でもしゃべり続けた結果、おかげさまでおしゃべりも健在です。

■かつては深夜にタラコをひと腹食べることも…

 先生には「あんた(強運)持ってるな。でも血管ドロッドロやったで」と巻き舌気味の関西弁で言われました。言葉は荒いですが、愛あるお説教に「今に見ていてください」と心を入れ替え、ただいま絶賛、血管の大掃除中です。

 揚げ物、脂物は食べていません。栄養士の先生からのアドバイスを聞いて塩分や甘い物も極力減らした食事を心がけてますし、お酒も今のところ飲む勇気がありません。あの時の“痛み”がまだ記憶に生々しいので、それほど苦にならずに食事制限できています。

 慣れてくるとむしろ、そのままのおいしさが感じられるようになって、お醤油などをかけ過ぎていたことに気付きました。

 以前はコンサートの打ち上げで、唐揚げをハイボールで流し込んでいたクチです。深夜に帰宅してタラコをひと腹食べることもありました。そうです、私は夫から「ギャランドゥ」ならぬ「ギョランドゥ」と呼ばれるほどの魚卵好きなのです。

「もし、もうダメと言われたらお玉でイクラとウニとタラコを思い切り食べて死んでやる」と思っていたくらい(笑い)。でも心筋梗塞から生還できた今、タラコひと腹はダメでも一切れ食べられるなら幸せじゃないかと思えるようになりました。

 100%取り上げられることに比べたら、少しの努力なんて簡単なこと……。そう思って食事制限を重ねていたら、何と体重がみるみる4キロ減ったのです。するとどうなったかというと、着られなくなって長くクローゼットの奥で冬眠していたお気に入りの衣装たちがどんどん着られるようになってきたのです。「災い転じて福となす」とはまさにこのこと。ピアニストにとって衣装は、自己を表現するためのとても重要な位置付けなので、本当にうれしくて楽しんでいます。

 あの日のコンサートは幸いにも、私のほかに名だたる方々がたくさん出演されるものだったので、「チケット払い戻し」といった最悪の事態は免れましたが、多くの方にご心配とご迷惑をおかけしてしまい、プロとして本当に反省しています。

 還暦で激痛を一度味わったことは、いろんなことに「感謝」するきっかけをくれました。倒れる前に新作アルバム「ピアノ・パーティ」の録音が済んでいたこともラッキー。生きてリリースできることもみなさまのおかげです。 (聞き手=松永詠美子)

▽こくぶ・ひろこ 1959年、東京都生まれ。国立音楽大学ピアノ科在学中にジャズに目覚め、卒業後に単身渡米。帰国後の87年にプロ契約。作曲も手掛け、多くの作品をリリースしている。王道のジャズからクラシック、ロックまでジャンルを超えたアプローチで、ソロはもちろん自らが率いるトリオでも精力的にコンサート活動を行っている。2月19日には5年ぶり24作目となるアルバム「ピアノ・パーティ」がリリースされる。HP<http://kokubuhiroko.net

関連記事