がんと向き合い生きていく

DNAがつながる…患者の漏らした言葉が今になって身に染みる

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 私たちが緩和病棟を始めた20年前のことです。当時58歳で、大腸がんが肝臓、肺、骨に転移していたSさん(女性)は、手術を受けた外科病棟に数回入院された後、病状が悪化して治療法がなくなり、緩和病棟に入られました。

 その頃は、Sさんの初孫の誕生が近づいていた時期でした。ある日、看護師が「Sさん、お孫さんがもう生まれそうと聞きましたよ。お会いしたいですよね」と言葉をかけたところ、Sさんは「DNAがつながっただけよ」と言われたそうです。Sさんは孫の誕生どころではなかったのでしょう。

 それを伝え聞いた当時の私は、「DNAがつながる……そのような感じなのか」と、さほど深くは考えませんでした。それでもその言葉が妙に忘れられませんでした。そしてそれが私たちスタッフが聞いたSさんの最後の言葉となりました。Sさんは残念ながら、お孫さんには会えずに亡くなりました。

 ちょうどその頃、哲学者の梅原猛氏は日本緩和医療学会特別講演で次のような話をされました。

「私たちの生命の中には永遠の生命がやどり、それが子孫に蘇っていく。自分は死んでも、遺伝子は生きていると考えれば、生命は連続的なものと科学的に考えることができる。この考えに立つと、がんの末期の人、死にゆく人々に対峙するとき、なぐさめの心を持って対話ができるのではないか。この世の生命は受け継がれていくことに救いがある。生命は連続したものだという立場から自然な対話ができる」

 10年前のことですが、私は拙著「がんを生きる」(講談社現代新書)の中で、「死の恐怖を乗り越える術を探している」と書きました。これを読んでくださった籏谷一紀氏が、「先生が探している死の恐怖を乗り越える術を経験した」との手紙を添えて、自身の闘病記「体に聞く骨髄移植」(文芸社)を送ってくれことがあります。悪性リンパ腫が再発し、奈落に落とされ、死を考える日々を経て骨髄移植を受けるに至ったことを書かれた本でした。

 あれから約10年、籏谷氏はどうしておられるのか? 案じていたところ、2018年12月にうれしい手紙が届きました。

「私はお陰様で元気にしており、病気の再発もございません。そして2年前に結婚して、来月子供が生まれる予定です! 生きさせてもらえて本当によかったと心から思える毎日を過ごしております」

 死の彷徨をし、強い抗がん剤、放射線治療を受けたことから、子供を持つことは諦めていたかもしれないのに、この朗報でした。そして昨年1月末にかわいい女の子が生まれ、赤ちゃんの写真を送ってくれました。

 生きるとはなんと素晴らしいことなのでしょうか。10回も入退院を繰り返し、悩み、深く死を考えた彼の10年後に、このような運命が待っていたとは誰が想像できたでしょう。最近は、精子や卵子、あるいは受精卵を凍結しておいてから、抗がん剤治療を受ける方がいらっしゃいます。これは、治癒してからの大きな希望だと思うのです。

 そして、私事で恐縮ですが、昨年12月、私の息子夫婦に男の子が誕生しました。結婚して7年、子供はいないものと諦めていたのですが、私にとっては初孫が生まれたのです。私は毎日、孫の写真や動画を見ながら暮らしています。理由などない理屈なしのうれしさです。

 あの時、Sさんがもしがんで苦しい状態でなかったら、初孫に会えたら、どんなに喜んだであろうか……そう思うのです。Sさんのお孫さんはもう20歳になっているでしょうか。

 DNAがつながる……梅原氏の「この世の生命は受け継がれていくことに救いがある」とした言葉は、今になって身に染みて分かるように思うのです。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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