独白 愉快な“病人”たち

日本海を眺めながら死も考えた…早川史哉さん白血病を語る

早川史哉さん(C)日刊ゲンダイ

 慢性ではなく急性だったと判明したときは、両親と3人で放心状態。「まさか……なんでオレが……」と。入院後、病室の窓から日本海を眺めながら「ここで死んでも悔いはないかな」と思ったこともありました。

 心身ともに一番つらかったのは、その年の11月の骨髄移植(造血幹細胞移植)の前後です。長期入院でただでさえ孤独にさいなまれていたのに、骨髄移植のために入った無菌室ではさらに孤独を感じました。奥に小さな窓があるだけの部屋で閉塞感があるのです。日中は家族と面会できましたが、無菌室の中と外で、電話を使って話すだけ。壁一枚あるだけでものすごく遠く感じ、寂しくて、苦しくて、どうしていいかわかりませんでした。

 体力もすでにかなり落ち、ただただベッドに横たわり、時が過ぎるのを待つしかない。移植直後は手のひらや足の裏の皮がむけたり、喉が荒れて話すのもつばをのみ込むのも、ものすごく痛くなりました。シャワーも体に当たる水が痛くて浴びられないほどで、無菌室にいた2カ月間は、生きているだけで精いっぱいでした。

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