独白 愉快な“病人”たち

激痛2度 アントキの猪木が腰椎椎間板ヘルニアとの格闘語る

芸人・アントキの猪木さん
芸人・アントキの猪木さん(C)日刊ゲンダイ

 どこの病院でも「手術しかない」と言われ、手術の日も決めていました。

 でも、ある人から紹介された“ゴッドハンド”のマッサージで嘘みたいに痛みが取れて、3回通ったらゴルフができちゃったので結局、手術はしていないんです。

 最初に「椎間板ヘルニア」と診断されたのは2013年6月でした。その直前に子供と行った田植えで腰を酷使したのも原因のひとつだと思うのですが、仕事に行く前の着替え中に勢いよく椅子に座ったら、ビリッときて跳び上がるくらいの痛みが走ったのです。腰から足先の方まで痛みが広がり、もう動けない。

 でも、もともと腰痛持ちでギックリ腰は幾度となく経験してきたので、「これもしばらくすれば治るだろう」とタカをくくっていました。

 それでも一応、野球のバット2本を杖代わりにして近所の整骨院まで必死で行き、内服薬をもらって飲みました。ですが3日安静にしても動けないので、ガマンできずに救急車を呼んだのです。 

 ところが、命に別条がないと判断されると救急病院は受け入れ拒否なんですね。たらい回しにされた揚げ句、たどり着いたのが老人ホームみたいな病院でした。

 こう言っては何ですが、設備もそこにいる医師も古めかしい、見るからに「大丈夫か? ここ」というところ。それでも仕方がないので入院しましたが、「MRIを撮ってほしい」とお願いしても「もう少し良くなってからのほうがいい」と訳の分からないことを言われてしまった。

 それで3日目に「もうダメだ」と思い、知り合いで唯一の医師にお願いして、転院させてもらうことにしました。

 彼の専門は消化器内科で、ヘルニアは専門外。でも事情を説明したら「腰痛が消化器系からの可能性もある」という理由を付けて転院を受け入れてもらい、そこから「やっぱりヘルニアでした」と整形外科に移らせてもらったのです。

■“ゴッドハンド”のマッサージでスッキリ

 僕の場合、椎骨の4番と5番の間の椎間板が割れて変形していたようです。割れたものは自然に修復するらしく、加齢でヘタって飛び出したヘルニアとは少し違って、時間をかければ治るということで2週間の入院でした。その時は安静にしていたらヘルニアは引っ込みました。

 ところが18年の春、2回目の大きな痛みに襲われました。少し腰に違和感があったので軽くほぐそうと思って行った近所のマッサージ店でそれは起こりました。「4番と5番にヘルニアの経験がある」と告げたのに、上から押されてしまって、「大丈夫かな」と思っていたら案の定、起きて立ち上がった途端にビリビリーッ! と……。 迷わず病院に行くと「手術ですね」と言われ、設備のある病院を紹介されました。でも行った先がいい加減で、「よし、すぐ手術だ」という割には名前も覚えてくれないし、「え~っと何番と何番でしたっけ?」と患者に聞いてくる始末。医師の対応があまりにも不安だったので、すぐさま昭和大学病院でセカンドオピニオンを受け、そこで手術の日取りまで決めたわけです。

“ゴッドハンド”を紹介されたのはその後、たまたま日本プロスポーツOB連盟の会長にお会いする機会があって、近々ヘルニアの手術をするという話になった時でした。

 会長自身がそれで治ったというセラピーとマッサージを合わせたようなフローメソッドというものがあり、その考案者である門眞央杏子さんを紹介してくれたのです。

 行ってみると何も言わないのに体を触っただけで「あ、4番と5番ですね」と言い当てるし、2時間かけてゆっくりゆっくりマッサージされた後は、「この痛みの取れ方は何だ?」と思うほど、治ったようにスッキリしました。

 施術中は「触ってるのか?」と思うほど軽いタッチでまったく痛くない。しかも2~3回目には「やり方をビデオに撮って持ち帰って、自分でやれるようになってね。もうあまり来ないでください」と言うほど商売っ気がないのです。

 自分には効果があったのでいろんな人に紹介したら、僕の知り合いでいっぱいになってしまって、僕自身の予約が取れなくなったこともあります(笑い)。

 その門眞先生から神経の流れを表した図をいただいて、硬くて重いマッサージボールで凝った部分をほぐすのが今の僕の日課です。テニスボールでもいいと思うのですが、椅子に座りながらお尻の下に置いてコリコリコリコリしています。凝っている部分の周りから少しずつほぐすのがコツです。

 その先生に出会ってからはヘルニアの症状はありません。唯一注意していることは体重を増やさないこと。こう見えて体は一切鍛えていませんけど(笑い)。「痩せなきゃ」と思ったら思考をコントロールしてちゃんと痩せられるんです。

(聞き手=松永詠美子)

▽1973年、茨城県生まれ。かすみがうら市役所を退職後、アントニオ猪木のそっくりさんとしてテレビに出演。それがきっかけでものまね芸人になり、バラエティー番組を中心にドラマやCMなどで活躍している。2009年に結婚。現在は千葉テレビ「燃える男 中畑清の1・2・3絶好調」(土曜)に出演中。いばらき大使、茨城県境町観光親善大使、ボランティア団体TSUNAGARI応援団長でもある。

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