独白 愉快な“病人”たち

“全身がん”の高須克弥さん「長生きすればみんながんになる」

高須克弥さん
高須克弥さん(C)日刊ゲンダイ

「全身がん」というのはお亡くなりになった樹木希林さんが使って広く世間に認知された言葉で、医療用語ではありません。がんが体のあちこちに転移した状態のことで、いい言葉を広めてくれたなと思います。

 僕もずっと前から複数箇所にがんを持っていて、公表もしていたんですよ。でも樹木さんが亡くなってから「僕も全身がんだ」と言ったらみんなが注目してくれるようになりました(笑い)。

 事の始まりは2015年の人間ドックでした。「異常なし」と言われたのですが、検査結果をよく見ると尿検査で「血尿」の反応があったので、「細胞診をしてくれ」と自分でオーダーしたのです。細胞診というのは組織を採取して菌や腫瘍の存在を詳しく調べる検査で、人間ドックのメニューには入っていません。3週間後ぐらいに結果が出てきて「がん細胞がある」とわかりました。

「血尿なんだから尿管系か腎臓か膀胱のどこかだろう」と思って調べたら、その全部からがんが見つかったというわけです。だって尿管がんになったらすぐに腎臓がんになるし、そうなったら膀胱がんにもなっちゃう。しょうがない、つながっているんだから。

 大して驚きませんでした。「おう、来たか」といったところです。人間は長生きすれば、みんながんになる。学生時代の解剖実習の時、教授から「人間は次第に細胞が死滅していくけれど、がん細胞は生き続けるから、長生きの最後はがんだけが残る」と教えられました。確かに、枯れ木のようになった老人の検体からは複数のがんが確認できました。逆にハツカネズミはがんにならないんです。がんになる前に寿命がくるからです。

 人間は長生きになったから、がんになるのは当たり前なのです。だからイボができれば取るし、歯が抜ければ差し歯もするように、がんを見つけたら取るだけです。“メンテナンス”の一環と考えています。なので、がんが見つかってすぐに開腹手術を受けて、尿管と膀胱半分と左側の腎臓は取ってしまいました。

 その時、万全を期すなら膀胱は全部取った方がよかったのですが、僕は「半分残せ」と指示をしました。なぜなら、膀胱を全部取ってしまったら人工膀胱になるでしょう? あれはなかなかケアが大変なので、自分が執刀する手術に支障を来すと思ったんです。がんは残しても仕事ができたほうがいい。それは僕にとっての「QOL」(クオリティー・オブ・ライフ)を優先した結果です。実際、入院している時に病院を脱走して手術していました。手首に患者のタグをつけたままね。

■つらい治療に全力投球するよりも楽しいことを優先したい

 以来、がんとは長い付き合いです。がんが顔を出せば叩く(切除)「もぐら叩き」のような関係が続いています。免疫療法として保険の利かない治療もしました。人工透析のような機械に血液を通して、血液の中の免疫力を活性化させて体に戻すという方法です。

 その後、しばらくおとなしくしていたがんが、再び暴れ始めたのは昨年あたりからです。5月には内視鏡で大腸の腫瘍摘出手術をしましたし、膀胱に関してはこの5年間で5回ぐらい手術しています。近々また内視鏡で膀胱の腫瘍を取る予定になっています。

 若い人のがんだと話は違ってきますけど、老人の場合はがんを持っていても寿命はあまり変わりません。しかも診断されても「明日死ぬ」と言われているわけじゃなく、“執行猶予”があるでしょう? つらい治療に全力投球するよりも、生きて楽しいことを優先したい。

 がんは大きくなる前に取ればそれでいい。少なくとも僕はそう思っています。

 僕は死ぬことは怖くありません。全身麻酔を何十回もしているから、何度も死の疑似体験をしているようなものだし、そもそも全身麻酔が楽しくて大好きなのです。痛いのは嫌だからすぐ全身麻酔にしちゃう。一度でも気持ちが悪くなったり、苦しかった治療はやらないしね。何しろ僕の主治医は僕だから(笑い)。

 痛みがあれば痛み止めを使うし、睡眠薬を飲まないと眠れない日々ではあります。人聞きは悪いですが「ドラッグ漬け」ですね。

 がんが見つかるたび、次はどんな方法で制圧してやろうかと思うんです。最近、がんに取り込まれると光る物質というのがあって、それによって光っているところを内視鏡で取る。そんな治療を今度やります。

 去年、チベット仏教の最高位であるダライ・ラマ14世にお目にかかった時、「僕はがんになりました。お助けください」と言ってみたんです。そうしたら「大丈夫。キミは死なない」と頬を優しくつねられました。僕は信者じゃないけれど、あれから体調が良くなった気がしています。

(聞き手=松永詠美子)

▽たかす・かつや 1945年、愛知県生まれ。医学博士。美容外科「高須クリニック」院長。江戸時代から続く医師の家系に生まれ、昭和大学医学部在学中にイタリアやドイツなどで研修を受け、最新の美容外科技術を学ぶ。日本に脂肪吸引手術を紹介し、普及させた。人脈は多岐にわたり、メディアへの出演多数。総合格闘技K-1のリングドクターとしても活躍。紺綬褒章を何度も受章するなど社会貢献にも尽力している。

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