独白 愉快な“病人”たち

岸あさこさん 世界でもまれな乳がんで「終わった」と思った

岸あさこさん
岸あさこさん(C)日刊ゲンダイ

 入浴中、右胸にしこりの存在を感じたその瞬間、「ああ、やってしまった……」と思いました。あまりにも明らかなしこりだったので、乳がんだとピンときたからです。

 それは2年間のオーストラリア留学から帰国してすぐのこと。ヘルスケアに関係する学位を取り、福岡で何かヘルスケアに関わる事業を立ち上げようと考えていたところでした。

 病院で診察を受け、「乳がん」と診断されました。しかも組織を調べた結果、「初めて見る乳がん組織」と言われたのです。

 一般的に乳がんの70~80%はホルモンの影響を受けたホルモン由来のがんらしいのですが、私の場合はタイプが違ったようです。

「初めて見るなんて、そんなことあるの?」と診断を疑い、念のために別の病理医のエキスパートにもセカンドオピニオンをお願いしました。でも、その先生にも「僕も初めて見ました」と言われてしまい、「終わった……」と感じました。

 思えば留学前後を含めた4年間は乳がん検診をしていませんでした。それまでは2年に1度ぐらいのペースでエコー検査はしていたんですけれど……。留学直前にも一通りは検査したのですが、なぜか乳腺系だけしていなかったことが悔やまれました。

 そもそも私は、保険会社で審査部門の仕事をしていました。お客さまの病歴や症状、病院での検査結果などの情報を基に保険に加入できるかどうかを審査する仕事です。なので、知識としてはいろいろあったのですが、自分のことは見えていなかった。まさか自分ががんになるとはまったく思っていませんでした。食生活も気を付けていたし、たばこも吸わない。何より健康診断でずっと異常がなかったのです。「自分は大丈夫」と完全に過信していました。

 乳がん、しかも世界的にもまれなタイプで、「研究材料に使いたいので同意書にサインを」と言われたくらいの特殊ながん……。あまりにも突然のことでまったく受け止められず、しばらくは放心状態でした。どうしたらいいのかわからない強い不安と死への恐怖、そして「乳がんになった」と明かしたらみんなが自分を避けるのではないかという孤独、仕事は? 生活は? 将来は? と、どんどん自分を追い込んでいってしまいました。

「死んじゃうのかな」

 そう思って、音信不通だった友達に連絡して、いきなり「会おう」と言って話を聞いてもらった時期もありました。でも、不安や孤独は解消されませんでした。

 2018年1月から手術と抗がん剤と放射線の治療が始まりました。抗がん剤の副作用は想像以上でした。脱毛はもちろんのこと、下痢は尋常ではなく、口の中がひどく荒れて強烈に染みる……サンドイッチのほんの香り付けのようなマスタードで悲鳴を上げてしまいました。むくみもひどくて、一番つらかった時期は歩いても50メートルごとに休憩が必要でした。「こんなにつらくて生きていく必要があるのか?」と思ってしまったほどです。

 治療のつらさに加えて、これからどう生きていけばいいのかまったくわからない心細さがありました。医師は「抗がん剤治療しながら仕事している人もいますから大丈夫ですよ」とサラッと言うのですが、到底納得できません。私が欲しかったのは「希望」であり「情報」でした。どんなに小さくてもいいから希望になる何かが欲しかった。

■料理教室の先生の笑顔が「希望」に見えた

 そんなときに出会ったのが、とある料理教室の先生でした。知人が教えてくれた料理教室で、聞けば先生も乳がんで乳房を全摘出して抗がん剤治療を行い、その時はホルモン治療中という状態でした。つらいはずなのに、その先生はとても元気で明るくて、笑顔が太陽のようでした。まさに「希望」に見えました。

 さらに、その料理教室には乳がんの手術によって包丁が握りにくくなったりした人のための「乳がん患者専門クラス」があり、乳がんのつらさや悩みを分かち合える仲間と出会えたのです。それが今の仕事につながりました。

 初めはSNSで乳がん患者の会員制の交流サイトを立ち上げ、情報を共有し合う場をつくりました。そのうちに乳がんの手術前に鏡などを使って胸を自撮りしている人が多いとわかったのです。「プロのカメラマンに美しく撮ってもらいたい」という声を聞いて、「それなら」と東京に小さなスタジオを設けました。資金はクラウドファンディングで集め、2019年10月にスタートしました。

 誰もが初めは緊張しています。手術を控えて失ってしまう胸を写真に残そうと考えていらっしゃるので、来るなり号泣される方もいます。でも、乳がんを経験した者にしかわからないいろいろな話で盛り上がり、いつしか笑顔になっていくのです。そして「私も岸さんみたいになれるんですね」とスッキリして、写真とともにお帰りになります。

 私にとって料理教室の先生がそうであったように、今度は私が誰かの良きお手本になれたらうれしいと思っています。

 (聞き手=松永詠美子)

▽きし・あさこ 1969年、東京都生まれ。正看護師、衛生管理者、民間保険会社医学的アンダーライターなどを経て、オーストラリアに留学。ニューサウスウェールズ大学医学部大学院卒業。帰国した2017年に乳がんが発覚し、治療中、18年にゴーウィ株式会社を設立した。医療にまつわる知識と自らの乳がん経験を生かし、乳がん手術前後の胸の写真撮影と心のケアを兼ね備えた「ブレストキャンサーポートレート」スタジオを都内で開設。乳がん予防啓発活動の講演も受け付けている。https://breastcancerportrait.com/

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