がんと向き合い生きていく

がんが発覚して診療できなくなった医師が見つけたもう一つの人生

佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 Rさんが61歳の秋、風邪をひいていないのに声がかすれました。医師会の会合でなじみの耳鼻科医に診てもらったところ、「声帯の近くに腫瘤があります。B大学病院を紹介します」と言われました。B大学病院の耳鼻科では、「組織を採って調べますが、がんであることは間違いないと思います」と告げられ、それから、がんとの闘いが始まったのです。

 手術の場合、声帯を含めて喉頭を全摘出しなければならなかったため、Rさんは放射線と抗がん剤治療を選びました。40日間の放射線治療では、開始して10日を過ぎた頃から喉の痛みが出始め、それが2カ月間ほど続きました。幸い治療は完遂できたものの声はかすれたままで、体重は10キロ減りました。それでも、自身の診療所は3カ月間休診した後に再開できました。

 しかし、その後は2カ月おきくらいに微熱と咳が出て、誤嚥性肺炎を起こしました。抗生剤を飲んで、いずれも3~4日で熱は下がりましたが、診療所はたびたび休診しなければなりませんでした。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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