20世紀以降のパンデミック史

アジア風邪は150万人が亡くなる20世紀2度目のパンデミック

アジア風邪が猛威を振るい全国で休校が相次いだ(昭和32年6月)
アジア風邪が猛威を振るい全国で休校が相次いだ(昭和32年6月)(C)共同通信社
スペイン風邪の“子孫”が大暴れ

 スペイン風邪のウイルスはその後、宿主である人間を殺さずに感染拡大できるよう毒性を弱めた形に変化した。その結果、温帯地方では冬ごとに、熱帯地方では季節に関係なく流行しながら、季節性インフルエンザとして生き延びた。ところが、1957年になると、まったく別のインフルエンザウイルス(H2N2亜型)が現れ、20世紀に入り2度目のパンデミックとなる。死者は世界中で150万人に上った。

「流行は2月下旬の中国で始まり、その後、世界各国に感染拡大しました。当時はすでに季節性インフルエンザワクチンや抗生物質が開発されていて、細菌性肺炎の治療もできるようになっていました。しかも、WHOのインフルエンザ・サーベイランス・ネットワークが稼働していたため、ウイルス株をすぐに分析して世界にパンデミック宣言を行い、ウイルスサンプルを世界中のワクチン製造業者に配布したのです。ただ、日本でワクチン使用が始まったのは11月だったためワクチン効果は限定的だと思います」(東京・葛西「弘邦医院」林雅之院長)

 さらに、その10年後の1968年には今度はH3N2亜型ウイルス(香港型)が出現し、100万人以上の命を奪った。これが3度目のパンデミックだ。それ以降、それまでのアジア型ウイルスに代わって、香港型ウイルスが新たに季節性インフルエンザの地位を確立した。その間に、スペイン風邪の原因ウイルスである、H1N1亜型ウイルスが再び流行して1977年にソ連風邪を、2009年には、28万4000人が亡くなる比較的小規模な感染爆発を起こした。

■ワクチンが開発され抗生物質で抑制

「1968年の香港風邪は、アジア風邪と同じように各国への感染拡大は早かったものの、致死率も低く、過去のパンデミックのような爆発的なアウトブレークは起こしませんでした。理由は、前年の季節性インフルエンザとウイルスの型が似ていたため、そのときに得た免疫により身を守れた人が多かったと考えられています」(林雅之院長)

 ちなみに、1977年のソ連風邪、2009年のパンデミック・インフルエンザでは、1918年以前に生まれた人が感染してもスペイン風邪に罹患して抗体が体内に作られていたため、重症患者や死亡者は少なかったといわれている。

 今回の新型コロナウイルスも流行が広まって多くの人が抗体を持つようになれば、「はやりの風邪」のひとつになっていく。

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