がんと向き合い生きていく

今日は抗がん剤を打てるだろうか…がん患者の複雑な気持ち

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 造園業を営む一人暮らしのAさん(55歳・男性)は、進行した膵臓がんで手術はできず、抗がん剤治療を受けています。

 Aさんの、ある一日です。朝6時に起きて、朝食は取らずに猫のタマちゃんに餌をあげ、7時には家を出ます。最寄り駅まで15分くらい歩いて、「今日は抗がん剤を打てるか、打てないか」と不安に思いながら病院に向かいます。

 新型コロナウイルスの影響で、行き交う人はみんなマスクをして、黙々と駅に向かっていました。Aさんは、「自分はがんを持っていて、新型コロナのハイリスク……うつったら大変」と思って注意しています。

 電車は混んでいて、Aさんはいつも立っていますが、つり革を持たないようにしています。先週は、マスクはしていても咳をする人が近くにいたので、ぎゅうぎゅう詰めの中、無理やりその場から離れました。

 8時30分、病院に着いて採血のための順番待ちに並び、終わってから受診室の前で待ちます。

 採血検査では白血球数が問題です。3000以上ないと抗がん剤は延期になります。廊下を含めて待合室は混雑します。「人と人の間隔をあけて座る」と言われても無理な話です。しかも、1時間半も待つのです。

 待合室のテレビでは、「○○県でコロナ患者が2人見つかった」とか、蔓延している話、今ごろになってからの水際対策?……といったコロナの報道ばかり続いています。

 ようやくAさんが呼ばれました。消化器内科のP医師が担当です。

「お元気ですか? 白血球数は2600でしたので、今週は抗がん剤は休みます。来週の予約を入れておきます。また、どうぞ」

 これで終わりです。3分にも満たない、まさに“2分診療”でした。会計を済ませ、Aさんが病院を出たのは11時半でした。病院の近くの駅に戻り、改札の中にある食堂で朝・昼食を兼ねて月見うどんを食べました。

 帰りの電車は座れました。Aさんはあれこれ考えます。

「抗がん剤は打てなくて、ただすごすご帰るしかない。今日、仕事を休んだのはなんにもならなかった。元気なときならイライラ怒っていたと思うのだが、怒る気にもならない。3カ月前、CT、MRI検査で膵臓がんと診断されたけれど、俺の腹には本当に膵臓がんがあるんだろうか。今週、抗がん剤を休んでがんは進行しないのか? 抗がん剤のスケジュールは2週治療して、1週休む。これをどれだけ繰り返すのか……。『まあ、どうにでもなれ』と思っても、そうもいかない」

 近くのスーパーで、夕食用の刺し身と、明日の朝食用にパンを買いました。

 家の近くの小道まできて、2軒隣のGさんの奥さんとすれ違い、会釈だけして通り過ぎました。

「イヤな人に会ったな」

 Aさんは思いました。

■同じ病気で亡くなった隣人を思い出したくない

 2年前、Gさんは膵臓がんで亡くなったのです。自分が膵臓がんになる前は、Gさんと奥さんを気の毒にと思っていたのですが、今は奥さんにはなるべく会いたくありません。

「Gさん、あの世から俺を呼ばないでくれ」

 同じ病気で亡くなったGさんを思い出したくないのです。

 夕食のとき、Aさんは気を取り直し、おはらいのつもりで久しぶりに、おちょこに1杯だけ日本酒を温めて飲んでみました。ボーッと体が熱くなり、それ以上、飲みたいとも思いませんでした。

 夜9時を過ぎて、娘から電話がありました。

「父ちゃん、今日はどうだった? そうか、抗がん剤打てなかったのか。父ちゃんの返事は、最近『仕方ない、仕方ない』ばっかりだね」

 Aさんは早めに布団に入ってまた考えます。

「ただ無駄な一日だったな。今日は何か良いことあったかな? そうか、抗がん剤を打たなかったからムカムカしないな。明日は公園に木を植えるのを監督する仕事だ。抗がん剤の副作用なしで立っていられるから楽だな。いつまで生きられるか分からないが、植えた木が大きくなるのが楽しみだ」

 がん治療を受けている患者さんは、少なからずAさんのように複雑な気持ちを抱えながら日々を暮らしているように思うのです。

 猫のタマちゃんは、部屋の隅の箱の中で目をつむって動きません。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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