独白 愉快な“病人”たち

放送作家・寺坂直毅氏「左耳下腺腫瘍」手術を即決した理由

寺坂直毅さん
寺坂直毅さん(C)日刊ゲンダイ

 人生38年目にして初めての入院、初めての手術が去年の「左耳下腺腫瘍」の切除でした。「耳下腺」というのは、もみあげ辺りにある唾液をつくる唾液腺のことで、そこに腫瘍ができてしまったのです。外見ではわからないけれど触るとわかる感じで、大きさは梅干しの種ぐらい。なんかコリコリしたものがあるな……とは思っていたものの、特に気にしていませんでした。

 でも去年の春、髪を切りに行ったら美容師さんにそれを指摘されて、「たぶん粉瘤だと思います。専門の病院に行けば1日で取れますよ」と言われました。そう言われてみると気になって、さっそく粉瘤をネット検索してみたんです。

 すると、粉瘤は皮膚の老廃物や皮脂が皮膚の下にたまってできた腫瘍と説明されており、それを取る専門のクリニックもたくさんありました。ところが近場の形成外科で診てもらうと、触っただけで「これは違いますよ」と言います。エコー検査の後、「耳下腺腫瘍かもしれません。CTを撮ってきてください」と告げられたのです。

 紹介されたCT専門病院へ行って1週間後に結果を形成外科に渡すと、「やはり耳下腺腫瘍だと思われます。だとすると、大学病院クラスじゃないと手術できませんから紹介状を書きます。どこにしますか?」と聞かれました。とっさに「じゃ、順天堂で」と口走ったのはネット検索したときの文字の残像がチラついたというだけの理由です。

■病気説明の紙に書かれていたこと

 医師の説明では、90%は良性とのことでしたが、耳下腺内は顔面神経や味覚神経が走っている重要な場所。ネットでは痛々しい手術痕や顔面麻痺や味覚障害などを起こしかねないとの書き込みもあり、怖くなりました。 順天堂医院へ検査に通い、「ほぼ耳下腺腫瘍でしょう」という結果が出たのは6月半ばでした。「おそらく良性なので放置してもいい」と言われましたが、先生が病気を説明してくれた紙には「がんになる可能性アリ」とハッキリ書いてある。先生いわく「寺坂さんが70代ならがんになることはないと思いますが、まだ38歳なので、先のことを考えたら切除をお勧めします」とのことでした。

 迷うことなく手術を選び、入院は8月に決定。関係各所にお許しをもらい、1週間の入院生活に入りました。

 猛暑厳しき折、僕は順天堂医院の高層階で、ある意味優雅な1週間を過ごしました。じつは僕はイビキがすごいものですから、ほかの患者さんに気兼ねなく眠れるようにと個室にしたんです(笑い)。1泊3万円は痛い出費でしたが、後から知り合いの看護師さんに「一日は長いし、入院中のメンタルはとても大事」と言われ、選択は正解だったと確信しました。

 手術は全身麻酔で、麻酔科の先生に「いつもラジオ聞いてますよ」と言われて恐縮していたら、いきなり「寺坂さん!」と起こされました。その間にすべてが終わっていたんです。

 今ももみあげに沿って縦に5~6センチの傷痕が残っています。術後2~3日間は傷の脇にドレーンというゴム管が刺さっていて、流れだす体液をためる箱がぶら下がっていました。お見舞いに来てくれた姉はドン引きしていましたね。

 点滴に痛み止めが入っていたのか、痛みは全然ありませんでした。後半は深夜までパソコンで仕事をしましたし、入院すればゲッソリするかなと思っていたのに、地下にコンビニがあったものですから、全然やせられませんでした(笑い)。

 後遺症は傷口に残るわずかな違和感と冬の寒さでピリピリする感覚ぐらいです。

 入院してわかったことは、看護師さんたちはラジオをよく聴いているということです。特に夜勤のお供にしているようで、「番組内で入院されるとは聞いていましたが、まさかうちに来るとは思いませんでした!」と大歓迎されて非常に照れくさかったです。みなさん本当に献身的で、いつでも優しくて、忙しいのに疲れた顔も見せない。看護師さんたちの尊さを改めて知った1週間でもありました。

 あと、一番びっくりしたのは血液型が間違っていたことです。入院した初日、ベッドに名前やら性別が書いてある札に「血液型O型」と書かれていたので、看護師さんに「僕、A型なので、これ間違っていますよ」と指摘したら、「いいえ、寺坂さんはO型です。何度も確かめましたから間違っていませんよ」と言われたのです。しばし呆然としていたら、看護師さんが「よくあるんですよ。入院あるあるです」とほほ笑まれ、その瞬間から僕のO型人生が始まりました。両親ともA型なので、自分もA型だと思い込んでいただけだったようです。

 一番励みになったのは、入院前、怖がる僕に入院経験者からかけられた「非日常だから入院を楽しもう」という言葉です。気持ちがグッと楽になりました。お見舞いで一番うれしかったのは「飲むゼリー」だったこともご報告しておきます。そして繰り返しになりますが、個室にしてよかったと思ったので、じつは退院後、差額ベッド代も出る医療保険に入り直しました。

(聞き手=松永詠美子)

▽てらさか・なおき 1980年、宮崎県生まれ。中学時代からラジオ番組に投稿を始め、1999年に放送作家を志して上京。専門学校を経て放送作家デビューした。「やりすぎコージー」(テレビ東京)、「爆チュー問題」(フジテレビ)など数々の番組を担当。現在は「うたコン」(NHK)や「オールナイトニッポン(星野源)」(ニッポン放送)などを担当している。著書に「胸騒ぎのデパート」(東京書籍)がある。

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