独白 愉快な“病人”たち

加瀬部駿介さん手術4回…世界にわずか70症例の病気と闘う

加瀬部駿介さん
加瀬部駿介さん(C)日刊ゲンダイ
加瀬部駿介さん(芸人 フレンチぶる・32歳)=ラープス

 医師が数人がかりで僕を押さえ付け、麻酔なしで右太ももの傷口から力ずくで血を絞り出したんです。ブルーベリージャムみたいな血がブロロ……ブロロ……と出てくるし、「頑張って、頑張って」って言われたけど、あのときは痛くてしょうがなかったです。

「ラープス」は血液の中の凝固因子が減少する一方で、血管内では血が固まりやすくなってしまう病気です。直接命に関わる病気ではないけれど、世界に70症例しかないそうです。

 最初に「血小板が少ない」と言われたのは、高校生のときです。血小板は血を固める役目をする血液成分です。学校の健康診断で引っかかり、再検査をしたけれど、「治療するほどじゃない」ということで薬も何もなく「少し気を付けて」と言われただけでした。

 第1の異変が起こったのは、いまの仕事をし始めた24歳のときでした。

 夜、酔っぱらって転んだ翌朝、右の太ももに痛みが走りました。転んだせいだと思っていましたが、パンパンにむくんできたので病院に行くと、「血がたまっている」とのことで、右太ももの脇を筋肉に沿って切って血を出す手術をしたのです。そのとき告げられたのは「コンパートメント症候群」という外的要因で筋膜内に血がたまる別の病気でした。

 本格的な異変はそれから2年後でした。今度は転んでもいないのに右太ももがむちゃくちゃ痛くなったんです。

 同じ病院に行くと、また同じ手術になりました。「1週間ぐらいで退院できる」と言われたのですが、手術2日後にまた同じくらい痛くなって再手術。するとまた2日後には血がたまってきて、また手術……と、結局5回も手術を繰り返しました。

■「このままだと右脚切断もあるかも」

 血液に詳しい先生が登場して改めて血液を検査すると、血小板が高校のときよりも格段に減少していて、ほかにも血液凝固因子の一部が極端に少ないと判明したのです。

「君の病気はラープスです」と言われたのは、血液の病気にたけた東大病院の血液内科に転院したあとでした。すぐに手術する予定でしたが、経過観察となり、僕のベッドの周りにズラーッと医師が集まって何やら話をするんです。僕は僕で「ラープス」をネットで検索してみたんですけど、「ヨーロッパのお城」ぐらいしか出てこなくて、結局なんだか分かりませんでした。

 その後、手術はしたのですが、やはり前の病院と同じで、すぐにまた血がたまって手術に次ぐ手術……。「このままだと右脚の切断もあるかも」と言われながら手術は4回続きました。血管内で血が詰まらないように傷口は半分開けたまま、ずっと紙おむつをあてがう状態でした。当然、紙おむつでは足らず、シーツは毎日血だらけ。2週間ぐらいは輸血しっぱなしでした。

 4回目の手術後、ついに「プレドニン」という強いステロイド薬の大量投与になりました。3日間続けた結果、血液の数値は安定しましたが、副作用がひどくて大変でした。

 まず眠れない。次にむくみで1日に体重が6キロも増減する。極めつきは、ちょっと頭がおかしくなりました。点滴を勝手に抜こうとしたり、なぜか突然「この病気はプロ野球の○○監督のせいだ」と言い出したり……。野球にも、その監督にも、特別な思い入れはないんです。言ったそばから変なことを言った自分に気づいてショックを受けました。

 この頃がいちばんヘコんでいました。やっと病名が分かっても、結局同じことの繰り返しで、頭はおかしくなるし、治らないんじゃないかと不安で……。そしたら相方に「副作用が出るってことは作用しているということだから大丈夫だ」と言われて、気持ちの上でとても大きい支えになりました。

 副作用の苦しみのかいあって血液の数値が安定したところで、例のブルーベリージャムのような血を力ずくで絞り出す治療が行われました。その後、ステロイドの点滴と錠剤で血液も脚も安定し、東大病院での約3カ月の入院生活を終えました。

 今も1日1錠のステロイドを服用しつつ、月1回通院して毎回血液検査を続けています。

 血小板の正常値が100だとすると、僕の場合は基本が60で、悪いときは1桁になる。1桁になったときには絶対入院の状態です。実は去年9月にまた右脚が痛くなって、1カ月入院しました。プレドニンをガツンと入れれば数値は安定するのですが、予防法がないことがこの病気の厄介なところ。原因が分からないので気を付けようがないんです。

 思えば入院中は、気持ちがクサりかけることもありました。でも同室には重病な方々ばかりで、「僕はまだ軽い方だ」と思えたことで耐えることができました。中には今でも手紙をやりとりしている70代の患者さんもいます。その人には家族に言えないことを吐き出させてもらってます。

 日々感謝です。病気をして、より人が好きになりまして、芸風がとても変わりました。昔はイケイケ、今はハートフル。アルバイトもジムのインストラクターから花屋さんになりました(笑い)。

(聞き手=松永詠美子)

▽かせべ・しゅんすけ 1987年、神奈川県生まれ。高校、帝京大時代にはアメリカンフットボールの選手としても活躍していた。2012年にお笑い養成学校に入学し、現在の相方・大西翔と出会う。のちに「フレンチぶる」でコンビを結成。2013年に「新人内さまライブ チャンピオン大会」で初代チャンピオンに輝く。テレビ出演のほか、2017年には、ラジオ番組「オールナイトニッポンR」(ニッポン放送)のパーソナリティーをコンビで務めた。

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