死なせる医療 訪問診療医が立ち会った人生の最期

在宅死は全体の1割 「病院で延命」は幸せな死に方なのか

小堀鷗一郎氏
小堀鷗一郎氏(C)日刊ゲンダイ

 患者の死が間近に迫ってくると、その家族の多くは担当医に、一日でも長く生きられるようにして欲しいと要求する。元のように回復することはないと思いながらも、最後まで手を尽くしてもらう。それが残される自分たちに与えられた使命や役割のように感じ、医者に希望を託すのだ。

 今まさに目の前で肉親が失われようとしている家族からすれば、これはむちゃな注文ではない。むしろ自然で当然な要望だろう。

 そんな家族の思いをぶつけられる医者も、できるだけ家族の希望に沿うように努力する。医学教育の根本は「救命・根治・延命」だ。

 わずかに残された命の火が消えないように、点滴や注射で薬剤を投入。考えられることをやり終えた末に患者は最期を迎えるのだ。

 だが、多くの人にとって、これが理想的な死に方とは限らない。

「昔は自宅で亡くなるのが当たり前でした。1976年に病院死と在宅死が逆転し、現在、在宅で亡くなる人は全体の1割程度となっています。ただ、人生の最後の医療については、医者よりも看護師や介護士の方が先に疑問を持っていました。死は、誰にとっても自然なこと。それなのに患者の体の負担を顧みずに薬剤を投与し、1分でも長く生きてもらうことが正しいのだろうかという悩みです。『死は敗北である』と教育されてきたドクターは目覚めるのが遅かった」

 死にゆく患者の延命治療をせず、在宅で看取る医師への批判は少なくなかったという。

「20年以上前から病院で延命措置をせずに在宅で患者を看取られてきた蘆野吉和先生(日本在宅医療連合学会・代表理事会長)がこうした取り組みを始められた当初は、周囲から冷たい目で見られることもあったようです。在宅死に対する理解が浸透しておらず、認知度も低かったため、家族はもちろん現場で働く医療関係者からも非難を浴びたと聞きます」

 蘆野さんは、病院で死を確認するだけの儀式は不要だと説いている。それよりも自宅でゆっくりと穏やかに死の時を迎え、家族も息を絶えていく姿から自然と死を受け入れることが大事だというのだ。

「定年後に外科医から訪問診療医になった自分は“出たとこ勝負”でやってきたようなもの。手探りで、死なせる医療に取り組んでいます」

 それでは、在宅死は最も理想的な死に方なのか。小堀さんは「そうとも限らない」と強調する。

(取材・文=稲川美穂子)

小堀鷗一郎

小堀鷗一郎

1938年、東京生まれ。東大医学部卒。東大医学部付属病院第1外科を経て国立国際医療センターに勤務し、同病院長を最後に65歳で定年退職。埼玉県新座市の堀ノ内病院で訪問診療に携わるようになる。母方の祖父は森鴎外。著書に「死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者」(みすず書房)。

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