死なせる医療 訪問診療医が立ち会った人生の最期

患者にとっては負担でも「延命装置」が必要な時もある

小堀鷗一郎医師
小堀鷗一郎医師(C)日刊ゲンダイ

「自宅で穏やかに最期を迎えることを希望している人には、たとえ死が間近に迫ってきたとしても救急車を呼ぶことはありません。病院に搬送されれば、医療人の良心にかけて考えられる限りの延命措置を施されるからです」

 高度な医療の発達のおかげで、平均寿命は延伸している。しかし高齢者の場合は、苦しい治療の末に一命を取り留めたとしても、以前のような生活をおくれなくなるリスクも高い。自分の意思で判断し行動できるような状態に戻るのであればいいが、自発呼吸の回復もままならず、ベッドの上で眠ったように生きながらえることもある。生体への影響は大きいのだ。

「高齢者の多くは、日常生活の基本的な動作である食事や排泄、歩行などについて、入院時よりもどんどん低下していくでしょうね。一向に改善が期待できないまま、寝たきりで最期を迎える方もいます。そうなると、本来迎えるはずであった最期を迎えられなくなります。延命の治療は患者にとって苦しいもの。点滴で栄養を補給しても、分解能力が衰えた体は受け付けないので、むくみや痰(たん)を増加させるだけで、さらなる措置が必要になってくることもあります。それを承知で生命の延長を図ることに、果たしてどれだけの意味があるのでしょうか」

 そう話す小堀さんも時には大きなリスクをとって、積極的な延命治療を行うこともあるそうだ。

「ある時、民生委員の方から『患者の様子がおかしい』という連絡を受けました。往診に駆けつけると、すでに意識が混濁し死ぬ間際という状態です。急いで娘さんに連絡をしましたが、連絡がつかない。『自宅で母をみとりたい』と希望し、懸命に面倒を見てきた娘です。このまま母親が逝ってしまうと、死に目にも会えずに無念が残るのではないかと思いました」

■その後も家族は生きる

 小堀さんは母親の腕を取り、手首に指を当てた。まだ脈があった。

「私は触れる脈を頼りに、堀ノ内病院へ救急搬送することにしました。母親は病院で救急措置を受け、なんとか一命を取り留めたのです。その後、自宅で最期を見届けたいという娘の希望に沿って退院した翌日、自宅で穏やかに息を引き取りました」

 救命措置は母親の体を考えれば負担になっただろう。だが、母の死後も生きていく家族にとっては必要なものだった。

「私は診察で訪問するたびに本人や家族と話をしてきました。病状が進行した時は特に、それからのことについてゆっくり話し合ってきたのです。娘さんが懸命に介護をする姿も見てきました。そんな状況を知っていたから、母親を一人で死なせるわけにはいかないと判断したのです」

 医師として、友人・隣人として、深く長く接してきたからこその決断である。

 それでも毎回、正解を選べるとは限らないという。「救命・根治・延命」から「死なせる医療」に切り替えるターニングポイントは確実にある。だが、いつがその分岐点かの見極めは、経験を積んできた小堀さんをもってしても、難しいという。

小堀鷗一郎

小堀鷗一郎

1938年、東京生まれ。東大医学部卒。東大医学部付属病院第1外科を経て国立国際医療センターに勤務し、同病院長を最後に65歳で定年退職。埼玉県新座市の堀ノ内病院で訪問診療に携わるようになる。母方の祖父は森鴎外。著書に「死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者」(みすず書房)。

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