死なせる医療 訪問診療医が立ち会った人生の最期

自分らしい最期を迎えるために死をイメージする

小堀鷗一郎医師
小堀鷗一郎医師(C)日刊ゲンダイ

 病院に入院し延命措置を受けた上で死を迎えるのがいいのか、在宅で自然な死の過程を受け入れるのがいいのか。小堀さんは、「誰にでも当てはまるような正解はない」と強調する。それぞれの患者や家族の事情によって、何がベストかは違ってくるのだ。

 ただし、その人らしい死の迎え方は必ずあるはずだし、そのためにやっておくべきこともある。そのひとつが「かかりつけ医」を持つこと。そしてもうひとつ大切なのが、死をイメージすることだ。

「病院で亡くなる人が増えた今は、『人はいつか死を迎えるのだ』という実感が持てない社会になっています。みんな死という現実から目を背け、意図的に見ないようにしている。これでは、自分や家族がどのような死を迎えるのがいいかを考えることもできません。私は訪問診療の折に触れ、患者本人や家族に、人が死に至る過程を話すようにしています。どう死ぬかを考えるためには、死という現実と向き合うことが重要だと思っているからです」

 もちろん人が自然に亡くなる過程にも個人差はある。もっとも多いのは、食欲の減退から始まるパターンだ。

「食べる意欲を失って、提供される食事も口にしなくなります。その次は体力の衰えです。ベッドで過ごす時間が長くなり、立てなくなったり、眠ってばかりになったりという状態になります」

 その時点で家族が「つらそうで見ていられない」というのであれば、点滴で水分を補給することもあるという。

「栄養といっても、死の間際になると食物を分解する能力が衰えているので、その人の体には不要なものになっている可能性が高い。それを体に送り込むことになれば、余分な水分でむくみをもたらせたり痰を増加させたりと、かえって害があり、本人を苦しめることになるかもしれません。それでも患者の家族の多くは放っておけないと考えてしまいます。たとえ目の前で起こっていることが自然な死の過程であっても、簡単に受け入れることができない。『ここで治療さえすれば元通りになる』と思って救急車を呼び、積極的な延命治療を望むのです」

 その結果、胃ろうで直接お腹に栄養を入れるようにして、何年も意識がないまま寝たきりで過ごすというケースもある。これは患者やその家族にとって最善の死に方とは限らないだろう。

 とはいえ、どんなケースでも点滴をしないことが正解とも言えない。

「なかには点滴で復活を果たす人もいます。だから、そこの判断を誤ってはならないのですが、年齢を基準に線を引けるものでもないので難しい。たとえ患者が90歳であっても延命治療をしないと決めるのは危険です。実際、ある若い医師が患者の年齢から治療は負担になると判断したのですが、それを容認できなかった家族が別の病院に連れて行き入院加療をしたら、容体が回復したこともありました」

「救命・根治・延命」を第一に考える「生かす治療」と、自然に委ねる「死なせる医療」のターニングポイントは、医者ですら見分けるのが難しいのだ。それだけに重要になるのが「自分はどうしたいのか」である。健康なうちから自分の死をイメージしておかなければならない理由がここにある。

「食べることが負担になってきたらどうするか。それでも好きなものを食べられるだけ食べたいのか、食べられなくなったら点滴をするのか、胃ろうはどうするか。死を疎むのではなく、どのように迎えたいのか、一度はじっくりと考えて欲しいですね」

 これが人間らしい死を遂げるために必要なステップである。

小堀鷗一郎

小堀鷗一郎

1938年、東京生まれ。東大医学部卒。東大医学部付属病院第1外科を経て国立国際医療センターに勤務し、同病院長を最後に65歳で定年退職。埼玉県新座市の堀ノ内病院で訪問診療に携わるようになる。母方の祖父は森鴎外。著書に「死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者」(みすず書房)。

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