死なせる医療 訪問診療医が立ち会った人生の最期

450人以上の死に寄り添ってきた訪問診療医“自らの死に方”

小堀鷗一郎医師(C)日刊ゲンダイ

「私自身は、病院にするのか自宅にするのか、最期を迎える場所を決めていません。自分がどのように衰えていくのか、体力を失っていくのかは、まだ分かりませんからね。体の状態がどのように推移していくのかによっても違ってきますから、現段階で計画を立てることはできません。ただはっきりと言えることは、体が動く限りは医師の仕事を続けたいということ。このまま訪問診療に取り組んでいきたいです」

 小堀さんは80歳を越えた今も、驚くほど元気だ。背筋はピンと伸びているし、早足でスタスタと歩く後ろ姿からは、若さすら感じる。昔のことや固有名詞を思い出す時に、言葉に詰まることもない。数字や具体例を盛り込みながら、スラスラとよどみなく話すのだ。

 日常的に死と向き合い、死を見つめながらも、自らその準備を始めるには早いのだろう。

 今も毎日、埼玉県にある病院まで片道20キロをマイカーで通勤。混雑する日は片道1時間かかることもあり、往復3時間を費やす日もあるそうだ。ただ、それを苦にしている様子はない。

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小堀鷗一郎

小堀鷗一郎

1938年、東京生まれ。東大医学部卒。東大医学部付属病院第1外科を経て国立国際医療センターに勤務し、同病院長を最後に65歳で定年退職。埼玉県新座市の堀ノ内病院で訪問診療に携わるようになる。母方の祖父は森鴎外。著書に「死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者」(みすず書房)。

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