死なせる医療 訪問診療医が立ち会った人生の最期

450人以上の死に寄り添ってきた訪問診療医“自らの死に方”

小堀鷗一郎医師(C)日刊ゲンダイ

「訪問診療の際は自分の軽自動車を運転して地域を回っています。運転ができなくなれば看護師に代わってもらうこともできるし、勤務先を自宅近くの診療所に変えることも可能でしょう。いかにして働き続けるか、選択肢はいろいろありますよ」

 現在、医療の現場では新型コロナウイルス感染症という新しい病も広がっている。

「身近なところにも最前線で戦っている医療者がいます。私だって、いくら予防していたとしても、いつ感染するか分からない。まあコロナは8割が軽症と言われますが、そうなった時は、そうなった時ですね」

 無駄に死を恐れない。そんな死生観も読み取れる。「生かす医療」と「死なせる医療」という正反対に見える2つの医療のはざまで最適解を求め続けてきた小堀さんだからこそ、冷静に見つめることができるのだろう。

「その人らしく死ねるように支援するのは簡単ではありません。訪問診療医は、汚物にまみれたり、行政と戦ったり、神父のように死について語ったりすることもあります。高齢化が進み多死社会に突入すれば、現場で人手が足りなくなって“負け戦”を強いられるかもしれません。それでも私は生きている限り、訪問診療を続けていくつもりです」

 小堀さんの訪問診療の記録は、ドキュメンタリー映画「人生をしまう時間」(NHKエンタープライズ)でも描かれている。=おわり

(取材・文=稲川美穂子)

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小堀鷗一郎

小堀鷗一郎

1938年、東京生まれ。東大医学部卒。東大医学部付属病院第1外科を経て国立国際医療センターに勤務し、同病院長を最後に65歳で定年退職。埼玉県新座市の堀ノ内病院で訪問診療に携わるようになる。母方の祖父は森鴎外。著書に「死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者」(みすず書房)。

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