在宅緩和医療の第一人者が考える「理想の最期」

病院では患者の尊厳よりも「安全」と「管理」が優先される

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 コロナ禍で在宅医療を検討する人が増えているという。院内感染を恐れて病院での治療を敬遠する。そんな考えが広まっているのだ。

 人生のエンディングをどのように迎えるのかは、病状や家族関係、経済的側面など、さまざまな個別の事情が絡んでくる。誰にも当てはまる正解はないだろう。それでも押さえておくべきことはある。蘆野さんは「病院と在宅医療では、“看取りの仕方”に違いがある」と言う。

「病院では救命を目的にしているため、最後まで積極的な治療を行います。その際に最優先されるのが“安全”です。苦痛が伴う治療で患者がじっとしていられない場合は、安全確保のために鎮静薬を使ったり、手指が動かないように硬いミトンの手袋をはめたり、ヒモで四肢をベッドに縛って体を拘束したりすることがあります。こうした“管理”のために“患者の尊厳”を維持できないことがあるのです」

 加齢や衰弱により細くなった血管は、点滴の針が入りにくい。薬が漏れない良好な血管が見つかるまで、何回も針を抜き差しすることもある。時には首の太い血管から点滴の針を入れることもあるという。

「喀痰吸引だって、鼻や口、ときには切開した気管から細い管を入れて、痰や唾液など分泌物を吸い出すため、苦しい思いをします」

 気管切開や人工呼吸器を使うことになれば自力で喀痰しにくいため、吸引回数も当然増えていくそうだ。

 もしも患者が認知症ならば、治療への理解も難しい。それで体を拘束されれば、高齢者の場合、筋力はあっという間に落ちていく。

「治らない人に治す治療が続けられたり、緩和できるはずの苦しみが放置されたりするという現状もあります。治療によってQOL(生活の質)が低下し、治るという希望を持たされながら、治療という喧騒の中で一生を終えてしまうことも珍しくありません」

 幸い救命できたとしても、積極的な治療をきっかけに何年も寝たきりになり、元の生活に戻れず亡くなることもあるという。

「どのような状態になっても命を永らえたいと考えるのならば、積極的な治療をしてくれる病院を選択した方がいいでしょう。ただし“その人らしさや生き甲斐”を失わずに医療やケアを受けるのは難しい。一方で在宅医療は、その人の生活や価値観を大切にする医療です。その人の尊厳を保ちながら、望むような医療の形でサポートすることができます。病院でもあまり使われない高容量のモルヒネを使うことも可能ですし、胸水排液や腹水排液だってできます。医療は、その人の生活の質を高めるための“黒衣”です。人生を支配するものではありません」

 蘆野さんが今までに在宅医療で看取った患者は500人を超える。どの患者も病院より穏やかな最期を迎えているという。

(取材・文=稲川美穂子)

蘆野吉和

蘆野吉和

1978年、東北大学医学部卒。80年代から在宅緩和医療に取り組む。十和田市立中央病院院長・事業管理者、青森県立中央病院医療管理監、社会医療法人北斗地域包括ケア推進センター長、鶴岡市立荘内病院参与などを歴任し現職。

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