がんと向き合い生きていく

膵臓がん 切除は無理でも放射線の「術中照射」で無事に退院

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 八百屋を営んでいるKさん(65歳・男性)は、父親が胃がんで亡くなったこともあり、がんを気にして毎年、健診を受けています。

 長年、朝のコーヒー、晩酌、たばこを欠かさない毎日を送ってきました。コーヒーは、がんとの関連を指摘する報告を目にして控えた時期もありましたが、それが否定されたことを聞いてからは毎日飲んでいます。

 日本酒2合の晩酌はずっと続けていますが、たばこは10年前にやめました。自分だけでなく、周囲の家族への影響が指摘されている上、初めての孫が生まれたからです。

 そんなKさんは3カ月ほど前から背中が時々痛み、下痢をしやすくなっていました。「いつも店で重い荷物を持っているからだろう」と思って、整形外科医院を受診しましたが、X線検査では骨に問題はありませんでした。

 そこで、近所の内科を受診しました。すぐに採血検査をされ、お昼前、空腹になったところで再度受診し、腹部超音波検査を行いました。その結果、「膵臓に腫瘍がある。つまり膵臓がんの疑い」と告げられ、市の総合病院を紹介されることになったのです。さらに採血検査では、「糖尿病の傾向がある」とも言われました。Kさんは「膵臓がん」と聞いただけで、もうその時はダメかと思ったそうです。

 帰宅して、奥さんに「膵臓がんの疑いで市立病院で診てもらうことになった」と話すと、「え!? 気をつけていたのに」と驚きながら、神妙な表情を浮かべていました。

 Kさんはその日の夕飯からピタッと晩酌をやめました。そのためか、夜、布団に入っても寝つきが悪くなり、「もう死ぬのかな?」「俺の人生ってなんだったんだろう……」などと考えるようになりました。亡くなった両親、中学や高校の同級生の姿が浮かんだりもします。

 翌週、予約していた市立病院の消化器外科を受診しました。再度、採血と腹部超音波検査を行ったところ、担当医から「膵臓がんでしょう。手術は可能だと思います。その前に必要な検査を行いましょう」と言われ、CT・MRI検査、胃内視鏡検査など予定が組まれました。手術予定は、早くて3週間後くらいとのことでした。

■手術前後の放射線・化学療法で治る人が増えている

 検査は順調に進み、Kさんは手術2日前に入院しました。奥さん、息子と3人で手術の説明を受け、担当医となったF医師から次のような説明がありました。

「開腹してみないと分かりませんが、CT・MRIの画像では、がんは腹膜に広がってはいないし、肝臓に転移はなさそうです。開腹して、がんをできるだけ切除したいと思いますが、もし切除が困難な場合は、手術中にがんのところだけに放射線を当てる『術中照射』ということもできます。放射線が腸には当たらないようにして、1回で高線量が当てられます。この病院にはその設備があります」

 また切除できた場合でもその後に行われる抗がん剤治療について、膵臓を切ることによる糖尿病の併発など1時間ほどかけて説明がありました。

 Kさんは、F医師の丁寧な説明と自信がありそうな態度に、少し安心できて手術に同意しました。息子ががんのステージを聞くと、「Ⅲ期の可能性が高い」とのことでした。

 結局、手術では、がんが腹腔動脈幹に浸潤していて切除は無理と判断され、放射線術中照射が行われました。

 手術後、腹部の痛みは数日続きましたが、Kさんは無事に退院できました。その後、外来で抗がん剤治療が行われ、3年経過したいまも元気で過ごしています。

 Kさんは入院する前に、家族宛ての手紙を書いて仏壇の引き出しに入れておきました。

「麻酔から目が覚めない時は、延命治療はいらない。私がいなくなったら八百屋は閉じていい。妻をよろしく。皆さんありがとう」

 幸いなことに、その手紙を家族が目にすることはありませんでした。

 膵臓がんは、術中放射線治療設備を持っていない病院でも、手術前、手術後の放射線・化学療法で治る方が増えています。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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