上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

医療安全を考慮して「手術をしない」選択がされるケースも

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 患者さんを守るためにEBM(根拠に基づく医療)を含む「医療安全」を考慮した結果、外科医が「手術をしない」という選択をしなければならないケースもあります。しっかりしたエビデンスがなかったり、ガイドラインでは推奨されていない治療を行うことは、患者さんにとって不利益になることが分かってきたからです。患者さんの安全を優先して最初から手術をしないというケースは、かつてはほとんどありませんでした。どんな患者さんでも、外科医のところまでやって来た時点で“手術ありき”だったからです。そんな時代は、「処置できるかどうかはわからないけれど、とりあえず開腹してみましょう」といったケースも珍しくありませんでしたが、いまは限りなく少ないレベルと言えます。

 そうした医療安全やエビデンスを軽視した治療を行って、もしも何かトラブルが起こったときは、患者さんはもちろん医師や病院にとっても致命傷になりかねません。ですから、医師は治療を行う前に、患者さんが納得して同意するまで丁寧に治療の説明をします。

 ただ、中には「自分が助かる道は絶対にこの治療しかない」とか、「ほかの病院にはいくつも断られたから、ここで手術してもらえなければどうしていいかわからない」などと凝り固まった考え方にとらわれている患者さんもいます。そういったときは、患者さんの状態によって手術の危険度がどの程度かを数値で示した「リスクスコア」や、ガイドラインで推奨されている治療法などをベースにしながら、「あなたの場合、現時点で命を守るためには手術はしないほうがいいんですよ」といった説明を繰り返します。

 たとえばそれががんであれば、「いまは手術できないが、抗がん剤を使って腫瘍が小さくなったら、その時点で手術をしましょう」といったように次のステップを提示します。EBMを含めた医療安全を考慮して治療法を選択するのは、その患者さんが健康的に生活できる日をより長く続けられるように“水先案内”をするイメージでしょうか。

■医療従事者は個々で医療安全レベルを高めることが大切

 中には、医療安全を曲解してトラブルを恐れるあまり、少しでもリスクが高い患者さんの治療は断る医療機関も存在します。病状が安定している患者さんしか手術を受け付けない施設も見受けられます。それはそれでひとつの考え方なので何とも言えませんが、そうした医療機関は「あの病院はちょっとでも難しい患者は断られる」といった評判が立ち、評価が下がってしまうものです。患者さんを守るという医療安全の概念とはずれてしまっている印象です。

 こうした医療安全の考え方が広く浸透してきたいまの時代は、医師や看護師をはじめとした医療に関わるスタッフは、個人個人が自分自身の医療安全レベルを高めておくことが大切です。

 病院に勤務している医師を含めた医療従事者は、当たり前ですが病院に雇われている立場です。そのため、もし自分が医療安全から外れるようなトラブルを起こして病院の評判を落としてしまうと、病院との雇用関係に悪影響が出てしまいます。勤務している病院にとってネガティブな要素になってしまわないためにも、自身の医療安全レベルを高く維持しておく必要があるのです。

 しかも、患者さんを守る=医療安全という概念は、医師、看護師、医療スタッフなどの職種による大きな違いはありません。手洗いや消毒といった基本的な作業と同じように、医療安全の知識や行動は、医療従事者が等しく身に付けておくべきものだといえます。

 前回もお話ししましたが、いまは「医療安全学」や「病院管理学」といった分野の講座が開設されている医療教育機関も増えています。これからは、医療安全という考え方がより当たり前になってくるでしょう。

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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