独白 愉快な“病人”たち

義足のモデル今西柊子さん「痛みから解放され人生が再開した気分」

今西柊子さん
今西柊子さん(提供写真)
今西柊子さん(モデル・21歳)=左脚動静脈奇形

 3年前、左脚の太ももから下の切断手術をしました。術後、傷口が痛かったかどうかは覚えていません。たぶんそれまでの痛みのほうが強烈だったので、あんまり痛いと感じなかったのだと思います。

 最初の異変は小学校の高学年です。バレーボールをした後に、ちょっと左膝に鈍い痛みを感じるようになって病院に行きました。そのときは「成長痛」と言われ、何事もなかったのですが、実は後からそれも動静脈奇形が原因だったとわかりました。

 そのうち、左足の人さし指の付け根辺りが紫色に変色してきました。痛みはないので放置していると、中学に入学したくらいから変色が傷に変わり、血が出たり治ったりを繰り返すようになりました。いつしか中指や薬指にも変色が広がって、3本の指がえぐれたような状態になって治らなくなったので、改めて病院に行くと「動静脈奇形」と告げられました。

 この病気は、血管の塊ができてしまう先天的疾患といわれています。動脈から静脈に流れる血液が正規の経路をたどらずに、異常にできた血管の塊を経由してしまうため、血流の不十分な部分ができて皮膚や組織に潰瘍や壊死を起こしてしまう病気です。

 でも、当時は中学生でしたし、まだ歩けるくらいの痛みだったのであまり気にしていませんでした。ただ、その時点で医師はいずれ切断の可能性があると思っていたようです。

 そこから、塗り薬と痛み止めでの治療が始まりました。高校生になりたての頃はギリギリ歩いて通学しましたが、痛みが増し、靴の中が血でいっぱいになることも何度かあって、結局は車椅子で通うようになりました。

 スリッパのような軽いものでも触れると痛い状態で、塗り薬も痛み止めも種類を変えていくつも試しました。でもどれも効かなくて、高校3年間は24時間ずっと激痛との闘い……。最終的には壊死のような状態になりました。卒業してすぐに「もう耐えられない」と医師に相談すると、2つの案を提示されました。複数回にわたり入院して血管にカテーテルを入れて異常血管の塊を潰していく方法か、切断手術か……。

 切断を選んだのは、少しでも早く、痛みから解放されたかったからです。

 膝の血管にも塊があり、痛みや外傷がなかったものの、今後症状が出る可能性が高いということで、膝上10センチから切断しました。膝上は想定外でしたが、義足になることを想像したら、膝上でも悪くないなと思ったのはたしかです。見た目、その方がカッコイイかなって(笑い)。

 足がなくなることよりも痛みから解放される喜びのほうが大きかったので、術前も感傷的にはなりませんでしたし、周りが思うほど悲愴感はありませんでした。

 手術から目覚めたときは、足先の痛みが消えたことも脚がないこともわからないくらいボーッとして、「ほんまにない。ここまでしかないんや」と思ったのは、翌朝にちゃんと脚を見たときでした。痛みや悲しい感情はなくて、足先の感覚がないことに違和感がありましたね。

 術後、腫れが引いた頃に仮義足の型取りがあり、それが出来上がるまではほぼ筋トレでした。義足は意外と重いので、車椅子でなまった脚では動かせないのです。仮義足ができると平行棒でのリハビリが始まり、歩くことの難しさを知りました。初めは義足を信じることができなくて、体重を乗せるのが怖いんです。松葉づえで歩けるようになった、2カ月後に退院となりました。本義足の製作は術後10カ月ぐらいたった頃でした。

今西柊子さん(提供写真)

■これでよかったと思えるようにもっと仕事をしたい

 今、所属している「ココダイバーシティ・エンターテイメント」のオーディションを受けたのも、その頃でした。手術前に「義足の人はどう生活しているんだろう」と思って調べたときにGIMICOさんという義足のモデルを知って、「こんな人がいるんだ。あたしもどうせ義足になるなら目立つことをしたい」と思ったのです。そうしたら、たまたま障害者専門の芸能プロダクションでオーディションがあると知り、受けたら合格してしまって……(笑い)。

 東京パラリンピックの制服モデルという大役が決まったときは、素直にうれしかったですし、切断を選んでよかったと思えました。

 私は激痛から解放されたくて切断の道を選んだのですが、痛みは時間がたつにつれ忘れてしまうものですから、ともすると「切断は正しかったのか」と後悔してしまいそうな怖さがあります。だから、あの頃の痛みを忘れてしまうのは、私にとっては不安なんです。

 でも大きな仕事をいただくと、選択は間違っていなかったと思える。「これでよかった」と思えるように、これからもっといろんな仕事をして、たくさんの人に知ってもらえる活動をしていきたいですし、一般のモデルさんと同じように仕事ができたらいいなと思います。

 以前は、義足の人を街で見かけると勝手にかわいそうな暗いイメージを持っていました。でも、いざ自分がなると、むしろ痛みから解放されて活動範囲も広がったので、「人生が再開した」気分です。

 あくまで自分のことで言えばなんですけど、「障害者は周りが思うほど障害を重く考えていないケースもある」ってことを学びました。

(聞き手=松永詠美子)

▽いまにし・とうこ 1998年、奈良県生まれ。高校を卒業した2017年11月に先天性疾患の動静脈奇形により左大腿(太もも以下)を切断。2018年春に障害者に特化した芸能プロダクションのオーディションに合格し、夏からモデルとして活動を始める。2019年には東京オリンピック・パラリンピック日本代表選手団公式服装の記者発表モデルとして登壇し、大腿義足モデルとして注目されている。<https://coco-de7.com/>

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