独白 愉快な“病人”たち

「手遅れではない」の言葉で…笠井信輔さん悪性リンパ腫との闘い

笠井信輔さん
笠井信輔さん(C)日刊ゲンダイ
笠井信輔さん(フリーアナウンサー・57歳)=びまん性大細胞型B細胞リンパ腫

 がんの散らばり具合をカラー画像で見られるペット検査をしたところ、いたるところが黄色く反応していて、全身にがんが散らばっていることが判明。その画像を見たとき、「これは終わりか……」と思いました。

 不調は、フジテレビを退社(2019年9月)する2カ月ぐらい前から始まっていました。お小水が出にくく、そのくせ尿意だけは頻繁にある排尿障害です。

 私は密かに、番組を20年、共にしてきた小倉さん(小倉智昭アナウンサー)の膀胱がんが伝染したんじゃないかと思ったりしてたんですけど(笑い)、検査を受けたら「前立腺肥大」という結果でした。でも処方された薬を1~2カ月飲んでも改善されず、むしろ悪化し、腰痛や排尿時の苦しみも伴うようになったので、CT検査を受けたんです。結果は同じく前立腺肥大でしたが、そこに添えられた放射線技師の所見が運命の分かれ道になりました。

「骨盤に影が見える。何かの病変かもしれないので、その先の検査をしたらどうか」

 すでにフリーになっていた私は、「徹底的に調べたい」と希望し、泌尿器科から血液腫瘍内科へ移りました。

 検査をすると異常が見つかり、骨髄を採る検査で「悪性リンパ腫」、つまり血液のがんということがわかりました。最終的な病名は「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」。その中でも遺伝子異常が認められるやっかいなタイプ。入院は最低4カ月で、仕事復帰までには1年かかるかもしれないと言われました。

 いろいろな意味でガクッときました。1年間も人前に出られないことの恐怖もそうですし、会社勤めならお給料がもらえたのに……という収入面での不安もありました。と同時に、「死ぬのかな」という思いが自分自身に大きくのしかかりました。さらに、検査が進むにつれてわかったのがステージ4という事実で、血液に乗って全身にがんが散らばっている状態であることを知りました。 でも、主治医の「手遅れではない。効きのいい薬はある。気落ちしなくていい」という言葉で気持ちを強くしました。というのも、私の主治医は患者さん以上に細胞と向き合っているような“学者先生”タイプの方なのです。正直で物事をシビアにジャッジする人なので、ただの慰めを言う人じゃない。その先生が「手遅れではない」と言うのだから、信じてみようと思ったのです。

 10月からフリーになり、12月半ばから入院。120時間(5日間)ぶっ通しの抗がん剤の大量投与を計6回行い、4月末に退院しました。

 実はこのとき私が入院したことで、悪性リンパ腫を患う人たちの間で「笠井は特別扱いされているんじゃないか」というウワサが立ったようです。一般的に悪性リンパ腫の治療は1泊入院や日帰りで抗がん剤投与が行われるので、長期入院は珍しいケースなのです。でも、特別扱いなどではありません。主治医の先生は「とくダネ!」も、私がアナウンサーであることも知らなかったのですから。ひとつ“特別扱い”があったとすれば、それは私のリンパ腫がやっかいなタイプで、先生にしてみれば、それにとても興味があったということだと思います。

■SNSで寄せられた応援の言葉が励みに

 先生の選択した抗がん剤はよく効いてくれました。でも、副作用は生きているのが面倒くさくなるほどきついものがありました。励みになったのは、私のインスタグラムやブログを見た人たちからのたくさんの応援の言葉です。

 それまでは300人しかいなかったフォロワーが、がんを公表してからぐんぐん増えて、最高はブログ17万人、インスタグラム30万人にもなりました。そうなったとき、「ここで自分が心折れたらたくさんの人を失望させてしまう。負けちゃいけない。病気を治して元気な姿を見せるのが私の使命だ」と感じ、大きなエネルギーになったんです。

 SNSに光と影があるとすれば、私は番組などでは主に「危ない」「怪しい」という影の部分を報道する立場にいました。でも、がんになったらほぼ光しか感じませんでした。SNSでこんなに勇気づけられるものなんだと実感できたことは、これまでにない気づきでした。

 以前から私は「人生はプラマイゼロでできている」と思っているんです。ずっと右肩上がりの人生もなければ、右肩下がりの人生もない。ひどい状況になっても、こらえて上を向いていれば上向きな人生になっていくって。その通り、病気で仕事を失い、収入を失いはしましたけれど、新たな出会いや新たな絆を得ることができました。

 そして入院中にひとつ思ったのは、1泊や日帰りで抗がん剤治療をしている人は、どれだけ大変かということです。私はつらくても寝ていればいいけれど、治療と子育てや仕事を両立するのって本当にきつい。周囲はそれをわかってあげてほしい……と心から思います。

(聞き手=松永詠美子)

▽かさい・しんすけ 1963年、東京都生まれ。1987年にフジテレビ入社。1999年から20年間、朝の情報番組「とくダネ!」にレギュラー出演し、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、和歌山カレー事件、東日本大震災などを現場でリポートした。2019年に退社し、フリーアナウンサーとして活躍中。がんの啓発活動にも尽力している。著書「生きる力 引き算の縁と足し算の縁」(KADOKAWA)が11月18日発売予定。

関連記事