ビートルズの食生活から学ぶ健康

菜食主義者だったポール 婚約者宅でのある日の夕食メニュー

非メタボは「菜食」のおかげ
非メタボは「菜食」のおかげ(C)共同通信社

 私は、10代のころからビートルズの大ファンでしたが、彼らの情報をすべて知ろうと、これまでにバンドとしてのビートルズやビートルズの各メンバーについて書かれた本をたくさん読んできました。

 食生活を含む日常生活についての記述は、どの本を読んでもなかなか出てきませんが、メンバーの身内や身近にいた人の書いた本の中に、少しだけ貴重なシーンが記されています。

 私が最初に買ったビートルズ本は「ビートルズ」(ハンター・デヴィス著、草思社)という2段組みで350ページもある単行本でした。奥付には、「1969年7月10日 初版発行」と記載されています。

 購入したのは翌70年5月ごろのこと、ビートルズの最後のシングル盤「レット・イット・ビー」が大ヒット中で、そのひと月ほど前には「ビートルズ解散」の情報が世界中を駆け巡っていた時期でもありました。

 インターネットなどのない時代、著者のハンター・デヴィスは、ビートルズのメンバー本人、家族、身近な関係者に丁寧に取材しており、この本はビートルズの歴史を語る上で、スタンダードになっています。

 当時の私は、ビートルズのプロフィルと歴史についての情報入手が主たる目的で、彼らの食生活への関心は薄かったのですが、その後「ビートルズの食卓」(グスコー出版、2020年6月刊)を書くにあたって「増補版 ビートルズ」(1987年刊)を読み直してみると、メンバーの食生活に関する記載があり、著者自身が各メンバーの食事の際に目にしたことについて触れていました。

 ジョン・レノンの食事に関しては、次のようなことが紹介されています。

「食事は一切れのメロンと野菜を添えた冷肉から始まった。ジョンは菜食主義者になったので肉を食べなかった。みんなと冷たいミルクを飲み、(中略)もっとミルクを飲もうと台所の冷蔵庫へ行き、氷のように冷たいミルクをラッパ飲みした」

 著者自身がレノン夫妻の食事に同席していたからこそ書けた内容です。
ジョンが菜食を始めたのは、アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」がリリースされた1967年6月以降からで、本に記されていた時期は、翌年のインド訪問後、まだ前妻シンシアと暮らしていた1968年2月以降なのではないかと推測されます。ポール・マッカートニーについては、次のようなことが書かれています。

「婚約者だったジェーン・アッシャーと暮らしていた頃、ロンドンの彼女の家では夕食のための精進料理が準備されていた。その時期、ポールはジョンやジョージのように菜食主義者だったからだ。ヴィネグレット・ソース付きのアボカドから始まり、続いて木の実とスパイスを入れた野菜の蒸し焼き鍋(キャセロール)が出た。料理用に使って半分ほどになった白ぶどう酒を二人は分け合って飲み、食事はこれで終了した」

「ヴィネグレット・ソース」とはいわゆるフレンチドレッシングのことです。著者が目撃したのは、恐らく1967~68年でしょう。その後、ビートルズの4人は、それぞれの意思の下、さらに「菜食」の道を究めることになります。

松生恒夫

松生恒夫

昭和30(1955)年、東京都出身。松生クリニック院長、医学博士。東京慈恵会医科大学卒。日本消化器内視鏡学会専門医・指導医。地中海式食生活、漢方療法、音楽療法などを診療に取り入れ、治療効果を上げている。近刊「ビートルズの食卓」(グスコー出版)のほか「『腸寿』で老いを防ぐ」(平凡社)、「寿命をのばしたかったら『便秘』を改善しなさい!」(海竜社)など著書多数。

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