独白 愉快な“病人”たち

「死ぬんだろうな」と思った…樋口大悟さん白血病との闘い

樋口大悟さん
樋口大悟さん(C)日刊ゲンダイ
樋口大悟さん(俳優・モデル/43歳)=急性骨髄性白血病

 30歳のときに骨髄移植を受けました。移植は点滴で行われます。鮮度を保つため冷やされた液体が、鎖骨辺りに刺した針から血管を伝ってじわじわと体に広がっていくのが分かりました。あくまで個人の感覚では、新しいジュースを飲むような感じ。夕方から始まって終わったのは深夜でした。

 それが2~3週間かけて生着し、新しい造血幹細胞が僕の中で血を作ってくれているので現在に至っています。

「急性骨髄性白血病」が分かったのは25歳のときでした。スポーツジムのインストラクターをしながらアクション俳優を目指して学んでいたある日、左半身になんとなくしびれを感じました。でもそのときは、血液も脳も神経も異常なしでした。「何なのかな?」と思いながら1年がたった頃、スポーツジムのイベントで血液検査をやっていたので何げなく受けてみたら、検査を受けたことも忘れた頃に封書が届いて、「骨髄異常の可能性が高いからすぐ病院へ……」と書いてあったのです。

 週末だったので病院は週明けに行くことにして、夜テレビを見ていると偶然、昭和60年に白血病で亡くなった夏目雅子さんの何周忌かの特番をやっていました。「あ、これだ」と直感が走りました。

 翌朝、病院で血液検査をすると、その日のうちに電話がかかってきて、「すぐに来てください」と言われ、そのまま入院になりました。

 骨髄検査の結果、急性骨髄性白血病が確定し、重症度は8段階で中ぐらいとのことで治療は抗がん剤と告げられました。そのとき、「この抗がん剤が効かなければ、生存率10%」と言われたことは今でもめちゃめちゃ覚えています。「死ぬんだろうな」と思いました。 一時は、「まあ、人生楽しかったし、いいか」などと、どこかで自分を納得させもしました。でも、たくさんの人がお見舞いに来てくれて、みんなから力をもらって、「生きたいな」「絶対、生きないとな」と思いが変化していきました。

■病院の反対を押し切って転院

 抗がん剤は3回やりましたが、1回目が一番きつくて、吐き気、下痢に加え、42度の高熱が10日間続きました。よほど強い薬だったとみえて、その1回目でほぼ寛解に達しました。でも2回目には肝臓をやられ、口の中には大きな潰瘍もできました。それがとんでもなく痛くて、ずっとベッドにしがみついている状態でした。もはや、痛み止めも効かないのです。

 それを受けて「歯に細菌が入っているから歯を抜く」と言いだした医師に、異論を唱えたのは母親でした。母は現役の看護師で、新潟から来てくれていたのです。「これは歯じゃない」と感じた母は、病院の反対を押し切って僕を転院させました。

 転院先はN病院で、すぐに潰瘍は良くなったんです。敗血症だったらしく、抗生剤を打ったらウソのように治りました。「同じ東京の病院でもこんなに格差があるんだ」と思いました。母は今でも「あのとき転院していなかったら、今生きていないわよ」と言います(笑い)。

 転院先で3回目の抗がん剤治療を終え、26歳の4月に寛解して退院になりました。でもその1年半後にまた血液の数値がガクンと下がり、調べると、白血病を治療したことによる「治療性の骨髄異形成症候群」(血液のがん)と診断されました。

 一度良くなっていただけに以前にも増してショックが大きく、しかも治療法は骨髄移植しかないというのです。当然のことですが、移植が成功するとは限りません。まだ日常生活に支障はなかったし、移植に良いイメージを持っていなかった僕は、なかなか踏み切れず、精神的に追い込まれたまま3年を過ごしました。でも、血液の数値が一段と下がってしまい、周囲に背中を押される形でやっと移植を決意したのです。

 移植後には心膜炎になって痛みで死ぬかと思ったり、風疹にかかったりもしました。なにしろ移植の前に自分の免疫力をゼロにしていますから、移植後は0歳の赤ちゃんと同じような“弱い”状態なんです。退院後も細菌やホコリは禁物。飲食店で出される水はもちろん、ペットボトルの水も開封して30分以上たったら飲んではダメと言われました。

 骨髄移植を受けて変わったのは髪質ですね。髪と肌は血の影響を受けやすいといわれています。僕も髪がすごく柔らかくなりました。女性の髪を触っているような感じなので、寂しい時は便利です(笑い)。それを女子大の講演で話したら、会場が「しーん」としましたけどね(笑い)。

 でも、それは同時にドナーさんに感謝する時間でもあります。「関西在住、30代(当時)、女性」。ドナーさんについて教えてもらえるのはそれだけなので、会ってお礼を言うこともできませんが、感謝は年々大きくなるばかりです。どこかでお元気でいてくれたらいいなと思っています。

(聞き手=松永詠美子)

▽ひぐち・だいご 1977年、新潟県生まれ。得意の空手を生かしアクション俳優を目指していた25歳のときに白血病を発症。30歳で骨髄移植を受ける。現在、映画、CM、広告などを中心に活躍中。「ピタットハウス」のCMや、映画「生前葬~はみ出し者の逝く末」「カメラを止めるな!」などに出演。現在、企画、原案、主演を本人が務める映画「みんな生きている~二つ目の誕生日~」の製作をクラウドファンディングで挑戦中。今月25日に募集が終了する。

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