ビートルズの食生活から学ぶ健康

ジョージは肉や魚を調理するのも食べるのも許さなかった

ジョージ・ハリスン(左)とパティ・ボイド
ジョージ・ハリスン(左)とパティ・ボイド(C)ロイター/MPTV

 ビートルズのメンバー4人が経緯こそ異なるものの、それぞれが菜食主義者になったことは、これまでも述べてきました。

 メンバーの中で最初に本格的な菜食主義を取り入れたのはジョージ・ハリスンでした。そのきっかけについては、彼の最初の妻であったパティ・ボイドの著書「パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥデイ」(シンコーミュージック刊)につづられています。パティはトップモデルであり、フォトグラファーでもありました。ちなみに彼女はジョージと離婚した後にエリック・クラプトンと結婚します。ご存じのように、ジョージをはじめビートルズのメンバーと親しかった世界的ミュージシャンです。

 映画「ヘルプ」の撮影時にインドの楽器シタールに興味を持ったジョージはその後、インドの文化やヒンズー教に傾倒します。一般的にはそれがきっかけで菜食主義者となったとされています。しかし、パティの著書を読むと、菜食主義への関心はそれ以前に芽生えていたことがわかります。

 結婚当初、パティはジョージが好みそうなシェパーズパイ(マッシュポテトのパイ皮と牛肉や羊肉で作るパイ)、ヨークシャープディング(いわゆるプリンとは別物の軟らかいシュークリームの皮のようなもの)、ローストビーフといったイギリス風の料理を作っていたようです。

「そのうちジョージと私はベジタリアンとなり」と著書にはあります。ベジタリアンへの関心が高まったのは食用牛について知ったからです。知人からもらった牛の飼育に関する本を読み、肉食への疑問が芽生えます。こうつづっています。「牛の赤ちゃんがいかに残酷な扱いを受けているかを知ったのがきっかけだった。暗くて小さな木箱に押し込められ、体の向きを変えることすらできないようだ。金属製の柵を舐めている写真も載っていた。以来、肉は食べないと決めたわけだ」(同書から)

 彼らの食生活の転換は動物愛護がきっかけだったことがうかがえます。そして、その後のインド文化、ヒンズー教への傾倒が完全な菜食主義への道を選ばせたといっていいでしょう。その理由を考えてみましょう。①動物愛護と食用肉の問題②健康面への配慮③自然環境保全④ヒンズー教の教え――。想像の域を出ませんが、その後のジョージの発言や行動から総合的に考えると、この4つが主な理由として考えられます。

■当時、ベジタリアンであることは至難の業

 今日、食肉事情に関してさまざまな問題点が指摘されていますが、ジョージとパティは50年以上も前にそのことを強く感じ取っていたといっていいでしょう。当時、多くの欧米人にとって菜食主義者は、今と比べてはるかにマイノリティーであったことは間違いありません。パティはこうつづっています。「あの時代にベジタリアンでいることは至難の業だった。<中略>出来合いの惣菜はおろか、ステーキ肉やソーセージに代わる100%植物性の簡単便利な食材など皆無だった」(同書から)

 その結果、パティは、ジョージはもちろんのこと、彼らの家を訪れる家族や友人に菜食料理を手作りすることが日常となります。また、それに伴って食材を揃えることが楽しみになったとも語っています。そのために、ホームパーティーなどでは自然食品専門店で穀類、豆類、野菜、果物を買い揃えました。

 パティ自身は、後にジョージと離婚しますが、ジョージとともに暮らした期間はベジタリアン生活を続けます。一方、ジョージは死ぬまで菜食主義を貫き、「自分の家では肉や魚を調理するのも食べるのも許さなかった」(同書から)のです。

 菜食主義者ジョージの思いは、1970年代初めに発表された彼のアルバム「オール・シングス・マスト・パス」や「リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」からもメッセージとして伝わってきます。

松生恒夫

松生恒夫

昭和30(1955)年、東京都出身。松生クリニック院長、医学博士。東京慈恵会医科大学卒。日本消化器内視鏡学会専門医・指導医。地中海式食生活、漢方療法、音楽療法などを診療に取り入れ、治療効果を上げている。近刊「ビートルズの食卓」(グスコー出版)のほか「『腸寿』で老いを防ぐ」(平凡社)、「寿命をのばしたかったら『便秘』を改善しなさい!」(海竜社)など著書多数。

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