がんと向き合い生きていく

大腸がんの同僚を診た医師が自分の腹部にも痛みが出始め…

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 その地域では中核となるB病院の総合診療科に勤務するA医師(56歳・男性)のお話です。

 患者からの信頼が厚い医師で、病院職員からもとても慕われ、B病院の「ベストドクター」に選ばれたこともあります。

 ある年の春、A医師は内科系学会のシンポジウムの演者に指名されました。専門誌からは原稿の執筆を依頼されたのですが、締め切り日になっても原稿が3本も残っていたため焦っていました。しかも、2カ月後にはひとり娘の結婚式を控えていたのでなおさらです。

 そんなある日、看護師長から相談がありました。「病棟で一緒に働いているG看護師が腹痛を訴えているから診察してほしい」というのです。

 G看護師(35歳・女性)は2カ月ほど前から便秘気味で、1カ月前からは時々左下腹部が痛むといいます。

 A医師がとりあえず処置室で腹部を診察したところ、左下腹部に筒状の塊が触れました。腸内の便がたまった状態だけならば、これほど腫れることは考えにくい……。A医師は超音波装置を運び入れ、痛む下腹部に端子を当ててみました。

「ん? これは……便だけではないぞ。腫瘤がある」

 腸内を確認したA医師は、さらに端子を腹部の他の部位に移していきます。すると、驚いたことに肝臓にたくさんの腫瘤があったのです。A医師の頭には、とっさに「大腸がん・肝転移」という診断が浮かびました。

 G看護師の了解を取ってすぐに消化器内科医長に連絡し、翌日入院となりました。絶食とし、中心静脈栄養などさまざまな治療を行いましたが、病状はどんどん悪化していきます。そして黄疸が表れ、2カ月後にG看護師は亡くなりました。死因は「大腸がん・肝転移による肝不全」でした。

 G看護師の死亡は、A医師にとっても同じ病棟で勤務するスタッフにとっても大きなショックで、悲痛な出来事でした。

■体重が4キロ減ってげっそり

 A医師は真面目な性格で、夜ベッドに入ってから、その日に診察した患者を振り返るタイプでした。時には、印象深い患者を診察した後、その患者と同じ症状を自分に感じることもありました。たとえば、左頭痛の患者を診た後に「あの診断でよかったのか」などと頭の中で反すうするためか、自身も3日ほど左頭痛を起こしたりするのです。

 G看護師を最初に診察した時から、A医師は寝る前に自分で左下腹部を触れ、塊がないかどうかを確認することが多くなりました。そして次第に左下腹部に痛みを感じるようになり、腫瘤が触れるようにも思えてきました。しかし、そのことは誰にも言いませんでした。

 さらに、感じる痛みの回数が1日に3回、4回と増えてきました。そしてA医師は「検査はしていないが、自分はきっと大腸がんだろう。1週間後の娘の結婚式が終わったら消化器内科医長に相談しよう」という考えに行き着いたのです。

 体重は4キロも減り、見た目もげっそりしてきました。結婚式当日も、祝宴の食事にはほとんど手をつけず、田舎から出てきた姉には「娘さんいなくなるのが寂しいんじゃないの?」と冷やかされました。

 それでも、どうにか無事に娘の結婚式を見届けることができました。A医師がさっそく消化器内科医長に相談したところ、翌週に大腸内視鏡検査を予定してくれました。

 内視鏡の検査中、医長から「A先生、S字状結腸のところの粘膜が少し赤くなっています。でも、がんはありませんよ。写真を撮っておきますね」と言われました。がんは一切なかったのです。

 検査の前処置としてすべての便を出した影響もあったのでしょうか、その後、腹痛などの症状もまったくなくなりました。

 A医師は、「この2カ月の腹痛は何だったのだろうか? 患者さんを相手に誤診することなんてないのに……やっぱり『病は気から』なんだろうか。自分のことになるとこの体たらくとは」などと思いながら、スマホに送られてきた娘の新婚旅行の写真を眺めました。

 医師も自分のこととなると素人も同然です。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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