独白 愉快な“病人”たち

起業家の岡本麻里さん 精神病棟への入院経験で学んだ考え方

岡本麻里さん
岡本麻里さん(提供写真)
岡本麻里さん(31歳/起業家・クリエーター)=精神疾患

 出産後、私生活でさまざまな問題が重なりまして、精神的な疲労から体調を崩した末に、精神病棟に3カ月入院という経験をしました。

 体調不良の始まりは頭痛でした。2016年から17年にかけて2カ月に1度ぐらいの頻度で大きな頭痛に襲われるようになりました。陣痛が頭の中で起こっているような感覚で、バスケットボールを頭の内側からぶつけられているような痛みで、ひどい時は嘔吐して、その後は立てなくなってしまい脳梗塞なんじゃないかと思い、病院へ行くこともありました。

 強い鎮痛剤で少し和らぐものの、定期的にやってくる頭痛にさいなまれ、心労から体重が落ち、夜は眠れないし、電車の中でも過呼吸になることがありました。

 当時は、前の夫の前妻の遺品整理などをしたり、さまざまな人の思いや主張が絡んで体調不良が続き、月1回のペースで夫と2人でカウンセリングを受けていた時期もありました。

 それでも何も解決せず、最終的に「命を失えばわかってもらえるのかな?」と思うようになりました。

 これは今だから言えることですが、当時は感覚がマヒしていて、自分の精神状態が悪化していることも理解しきれていませんでした。

 精神科の隔離病棟に入院する前後のことはあまり覚えておらず、なぜ自分が入院しなくてはいけないのかも、初めは意味がわかりませんでした。 これを読んでくださっている方々は、精神病棟の治療がどんなものか、気になるところだと思いますが、私の場合は、想像していたよりも治療らしい治療はありませんでした。医師の面接も3日に1度程度、朝6時に起床して、夜8時に眠る以外にやることがありません。8時になんて眠れないので睡眠薬をもらうことも多かったです。

 面会も許されているのは親族である大人だけで、一番会いたい息子(当時2歳)には一切会えませんでした。それが今までのどんなことより、一番つらいことになりました。息子が幸せでいてくれることが私にとっての一番の幸せだと気付けたことにより、今まで人に求めてばかりいた幸せが、息子に見返りを求めずに与える幸せに変わりました。生きる理由がシンプルになりました。その後、シングルマザーという道も不安から希望に変わりました。

「生きているのは、過去でも未来でもない。今だけだ」と思ったのは、入院中に北朝鮮がミサイルを撃ったというニュースを見た時でした。

「もし病院にミサイルが落ちたら、息子に会えなくてつらいというこの感情さえもなくなってしまう」と思い、「過去にとらわれたり未来に不安を抱いている場合じゃない。今をただ生きればいい」という気持ちになりました。

 必要なのは今を生きること。自分の体調と心に素直になり「頑張ってるね。無理しなくていいよ」と、今を生きれば、過去も報われるし、未来も救われる――そう、すっきり霧が晴れました。

 入院の途中からは、「ここは熱海の旅館で、自分は執筆のために缶詰めになれる!」と思うことにしました。東京では、日々何かに追われる生活でしたから、この有り余る自由な時間を有意義に使おうと、アニメの台本を書くことを思いついて、うまく気持ちを置き換えられたのが幸いでした。

 入院生活中は、いろんな患者さんがいて、いろんな場面に遭遇しました。急に怒り出す人、夜中にドアを叩いて悩みを言う人、見えない人としゃべる人、病室でオシッコしちゃうおじいちゃん……。それを看護師さんに報告するのが私の役目みたいになっていました。

■「生きるために頑張らない」

 今思うと、この入院生活や、入院前の傷ついた経験は、心を鍛えるためのトレーニングだったのかなと思います。乗り越えるたびに楽になる、を何度も繰り返して“筋肉”がついた気がします。退院した頃には精神的にマッチョになっていたんじゃないかな。今の私にとって、この時の心の病気は「意味のある」必要な経験だったと思えるようになりました。

 あんなに悩まされた頭痛も退院してからなくなりました。今は体調がすごくよくなりました。

 病気で学んだことはたくさんあるのですが、「生きるために頑張らない」という考え方が私には必要でした。よく「精神的に弱いから病んでしまう」という人がいるんですけど、強い弱いではなく、頑張り過ぎた人がなるのかなと思いました。公表しづらいと思う人が多いと思いますが、精神疾患は決して悪いことでもないし、ましてや犯罪ではないし、恥ずかしいことでもないと思っています。

 疲れたら休んでいいし、頑張らなくていい。そんな自分を許してあげることが大事。私が今、心掛けているのは健康です。

 シングルマザーですし、せめて息子が独り立ちするまでは絶対に死ぬわけにはいきません。欲をいうならば孫の顔も見たいです! 今は程よく力を抜き、求める愛から与える愛に変わり、とてもハッピーです。

(聞き手=松永詠美子)

▽おかもと・まり 1989年、群馬県生まれ。地方アイドルとしてデビューし、2010年に広末涼子のものまねで注目される。15年に結婚。出産を経て株式会社「minto.」を起業する。18年に芸能界を引退し、その後に離婚。現在は人間力や交流力、生きるをテーマにしたWEBコンテンツや講演会、作品づくりなどを手掛ける。

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