ビートルズの食生活から学ぶ健康

ポールは高尾山の頂上で「かき揚げそば」をリクエストした

肉は食べずとも、パワーはいまも健在
肉は食べずとも、パワーはいまも健在(C)共同通信社

 1970年代初頭に、ポール・マッカートニーとリンダ・マッカートニー夫妻は肉類を取らない食生活を始めました。その後、リンダは英国でベジタリアンフードの会社を起こし、後に米国にも進出しています。当時、事業成功の理由についてリンダは、「健康のためであり、環境保護への関心」と答えています。

 89年にマッカートニー夫妻は、ワールドツアーで15カ国を回っています。その際、ツアーを通して、菜食主義や環境問題の重要性を訴えて大きな成果を上げたとも語っています。この時点で、2人の発するメッセージはエコロジー(自然保護)にまで及んでいました。それからしばらくして、日本でもエコロジーへの関心が高まったことを考えると、彼らの先見性がよくわかります。2人は、英国の田舎にあった自分たちの農場に居を構え、家畜を飼い、無農薬の野菜やハーブの栽培を行い、化学肥料や農薬を使わない野菜、添加物の入っていない食材での食生活を送ります。リンダは必ず自分が料理し、ポールもパンを焼いたり、オムレツを作ったりするのが得意だったようです。リンダは豆類などの植物性タンパク質の素材を使って、肉、ソーセージなどの味や食感を得られる料理を作り上げていたようです。

 前回のこのコラムで紹介したように、ポールとリンダの菜食主義への転換のきっかけは動物愛護の思いからでしたが、それが次第に人間の健康の問題あるいはエコロジーへの関心にまで及んでいきました。2人の世界に向けたメッセージ発信は、ジョンとヨーコのそれとは異なる性質のものではありましたが、その影響力は小さくはありませんでした。

 その後、残念なことにリンダは乳がんを患い、98年に56歳で生涯を閉じます。しかし、ポールはリンダの死後も菜食主義生活を続けます。2002年の来日の折には、ポールは東京・八王子にある高尾山に登ります。ある報道によれば、頂上にある日本食堂でかき揚げそばを注文します。ちなみに、ポールはその時、かき揚げはアツアツのそばの上ではなく、別の皿に盛り付けてもらったそうです。その理由は定かではありませんが、もしかすると動物性の食材が入っていないかを確かめたのかもしれません。

 その頃、すでにポールはヨーコらとともに「月曜日には肉を食べるのをやめよう」をスローガンにした「ミートフリー・マンデー(Meat free Monday)」という啓蒙運動をスタートさせています。牛のゲップによるCO²排出を含めて、肉牛飼育に付随したさまざまな大気汚染の可能性を指摘し、肉牛生産の抑制を訴えたメッセージも発信しています。そして、ポールは当時の英国キャメロン首相宛てにつづった手紙を公開しています。それによれば、「ミートフリー・マンデー」の広がりは、地球と人類の未来を守ることに寄与すると述べています。「(食肉の大量生産によって)有害な温室効果ガスが生み出され、土壌、水、エネルギーなどの貴重な資源は次第に消耗し、持続不可能なレベルに達する」とした上で、地球環境の悪化、気候変動、多様な動植物の「種」の絶滅の危険性を指摘しています。

 ポールの主張は、食の欧米化が定着した日本人にとっても他人事ではありません。しかし、たとえば「朝食=ご飯、焼き海苔、漬物、みそ汁、昼食=かき揚げそば、夕食=ご飯、湯豆腐、野菜のおひたし、漬物、みそ汁」といった和食であれば、「ミートフリー・マンデー」流の立派なメニューです。塩分過多に注意が必要ですが、さらに、ご飯を雑穀米、麦ご飯、玄米ご飯にすれば、完璧な健康食であり、エコロジーにも有効です。

松生恒夫

松生恒夫

昭和30(1955)年、東京都出身。松生クリニック院長、医学博士。東京慈恵会医科大学卒。日本消化器内視鏡学会専門医・指導医。地中海式食生活、漢方療法、音楽療法などを診療に取り入れ、治療効果を上げている。近刊「ビートルズの食卓」(グスコー出版)のほか「『腸寿』で老いを防ぐ」(平凡社)、「寿命をのばしたかったら『便秘』を改善しなさい!」(海竜社)など著書多数。

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