ビートルズの食生活から学ぶ健康

菜食主義生活を送ったジョージの基本は「地中海食」だった

ジョージ・ハリスンはもっとも早く菜食主義に傾倒した
ジョージ・ハリスンはもっとも早く菜食主義に傾倒した(C)共同通信社

 ジョージ・ハリスンはビートルズのメンバーの中でもっとも早く菜食主義に傾倒し、それを一生涯にわたり厳格に実践していました。ジョージの転機といえば、まず真っ先にイメージされるのがインド訪問です。1960年代後半、インドを訪れたジョージは、インド音楽、その背景にある文化、とりわけ瞑想、ヨガ、そして菜食中心の食文化に大きな影響を受けます。他のメンバーを連れ立ってインドを訪れ、瞑想、ヨガのトレーニングを受けたりもしています。とはいうものの、食生活がインド風一色であったわけではないようです。インド風、イタリア風、英国風など各種の菜食メニューを取り入れていました。

 ジョージはロンドンから列車で1時間ほどの大邸宅に住んでいました。「フライヤーパーク」と名付けられたその邸宅は、25のベッドルーム、豪華な舞踏室、大ホール、応接間、書斎、ダイニングルーム、巨大キッチンを備えていました。室内の至るところに豪華な彫刻が施されており、敷地面積は20エーカー(約8万平方メートル)もありました。

 妻のパティは料理に励み、2人は菜食主義生活を送っていました。肉、魚を使わないレシピなだけに、パティはなんとか変化をつけようとソースづくりには特に気を使いました。また彼女は、邸宅のあったヘンリー・オン・テームズ(Henley on Thames)の中心地までクルマを飛ばし、各種のチーズやパスタ類、珍しい野菜、世界各国の米、果物、ナッツ、豆、オリーブオイル、ビネガー、スパイスなどを買い求めました。これらの素材を使った料理を振る舞いパーティーを開くこともあり、その折にはワインも飲んでいたようです。

 これらの素材を考えると、彼らの食はいわゆる穀物、野菜、果物、オリーブオイルが中心の「地中海食」スタイルだったことがうかがえます。2012年、ある英国の雑誌に各種のダイエット法を比較した記事が掲載されました。それによれば、地中海食が体重減の点においてはもっとも効果があったことが報告されています。

 音楽ライターであるアラン・クレイソン著の「ジョージ・ハリスン」(プロデュース・センター出版局刊)によれば、コンサート観賞の際にはベイクドビーンズとフライドポテトを食べていたと記されています。また、ジョージ、リンゴほかエリック・クラプトン、ボブ・ディラン、レオン・ラッセル、ラビ・シャンカール(インドのシタール奏者)ら当時のそうそうたるミュージシャンが多数参加した「バングラデシュ難民救済コンサート」(1971年)の際には、楽屋にインド風ベジタリアン食があったこと、また、ラビ・シャンカールの甥であるクマール・シャンカールが、ジョージとパティのためにインド料理を作ったことも記されています。

■再婚した妻オリビアはメキシコ流ベジタリアン食に腕を振るった

 ジョージのアルバム「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」(1973年)には、食事中の演奏メンバーの写真が掲載されていて、テーブルにはパン、フルーツ、ワインはのっていますが、肉類はありません。その写真の中心にいるジョージはほっそりとしており、当時からメタボリック・シンドロームとは無縁だったことがうかがえます。

 その後、ジョージはパティと離婚、1978年にメキシコ系米国人のオリビア・トリニアード・アリアスと再婚します。

 2人の生活は子供の誕生とともに親密さを増しますが、もともとジョージの思想に強く共鳴していたオリビアは、食に関してもジョージ流を踏襲し、メキシコ風ベジタリアン料理に腕を振るったようです。

 残念なことに、ジョージは肺がん、そして脳腫瘍を患い、2001年11月、58歳の若さでこの世を去ります。彼の真面目な性格から考えて、菜食主義を終生貫いたに違いありません。

松生恒夫

松生恒夫

昭和30(1955)年、東京都出身。松生クリニック院長、医学博士。東京慈恵会医科大学卒。日本消化器内視鏡学会専門医・指導医。地中海式食生活、漢方療法、音楽療法などを診療に取り入れ、治療効果を上げている。近刊「ビートルズの食卓」(グスコー出版)のほか「『腸寿』で老いを防ぐ」(平凡社)、「寿命をのばしたかったら『便秘』を改善しなさい!」(海竜社)など著書多数。

関連記事