ビートルズの食生活から学ぶ健康

ポールとリンダは子供たちに「菜食主義」を強要しなかった

ポール・マッカートニー
ポール・マッカートニー(C)Ronald Grant Archive/Mary Evans/共同通信イメージズ

 菜食主義とカントリーライフを基本にした暮らしを始めたポール・マッカートニーと妻のリンダ・マッカートニーですが、1971年、2人は「ウイングス(Wings)」を結成します。新たな音楽活動のスタートでした。メンバーには、元ムーディー・ブルースのデニー・レインも含まれていました。

 81年に解散するまでに、7枚のオリジナルアルバムと1枚のライブアルバムを制作。いずれも世界中で大ヒットしました。動物愛護の思いが込められた「メアリーの子羊」をはじめとして、「マイ・ラヴ」「ジェット」「バンド・オン・ザ・ラン」、そして映画の主題歌にもなった「007 死ぬのは奴らだ」など数々のヒット曲を世に出しました。バンド結成後はバスによるツアーも精力的にこなしました。

「頭のあるものは食べない」と決めたポールとリンダは肉類、魚類を全く取らない菜食主義者になりましたが、周りの人間にそれを強要したり、菜食主義以外を否定したりするようなことはなかったようです。自分の子供たちに対しても同様でした。リンダ自身、家庭では菜食主義に基づいた料理しか作りませんでしたが、子供たちにはこう言っていたそうです。「(肉や魚の)料理をしたいなら料理をしてもいいし、レストランで食べてもいい」と……。

 けれども、子供たちは菜食主義を選んだようです。その理由は、ポールとリンダがそうであったように、動物愛護の気持ちを強く抱いていたからでした。

「ベジタリアン料理は簡単にできるし、おいしい」を日頃から公言していたリンダですが、このコラムで前にも紹介したように、リンダの名前を冠したベジタリアン料理の冷凍食品が「ロス・ヤング」という会社から販売されています。

 彼女の著書(邦題「地球と私のベジタリアン料理」)も、英国はもちろん米国でもベストセラーになりました。リンダは米国での菜食主義の啓蒙活動、自ら手掛けたベジタリアン料理のプロモーション活動も単独で行っています。健康重視、そして地球環境保護への強い思いに突き動かされてのものでした。

「バンド・オン・ザ・ラン」は世界的大ヒット
「バンド・オン・ザ・ラン」は世界的大ヒット(提供写真)
来日公演では「ミートフリー・マンデー」のパンフを配布

 81年、「ウイングス」は解散しますが、ジョン・レノンの死など衝撃的出来事による一時の中断を経て、ポールは音楽活動を続けます。89年の「ワールドツアー」では世界15カ国を回りますが、ポールはツアーを通して菜食主義と地球環境問題をアピールします。日本においても近年、地球環境問題は大きく取り上げられていますが、ポールとリンダの先見性には驚かされます。

 90年、来日時のインタビューでリンダはこう語っています。

「4人の子供の親である私は、政治に対して広い視野を持ち、環境保護団体を支援しています。コンサートでは、喜びや感動を与え、一方で深刻な環境問題のことも訴えていくことが大切です」

 また、94年、ベジタリアン生活について問われたポールは「ベジタリアンでいる方が、エネルギーが出る」と語っています。

 彼らは、子供たちへの向き合い方からもわかるように、ヒステリックに「菜食主義こそが絶対である」などと叫ぶことはありませんでした。逆に、その抑揚の利いたメッセージゆえに、世界の多くの人たちに支持されたのかもしれません。前述しましたが、彼らは「月曜日は肉を食べない(ミートフリー・マンデー)」の活動を始めました。ちなみに彼らの日本公演を私は観賞しましたが、会場では「ミートフリー・マンデー」に関するパンフレットが配られていました。ポールとリンダが訴えた考え方は、リンダの死後もメアリー、ステラの娘たちに受け継がれています。

 ファミリーのこうした活動は今も持続しており、世界の大きなムーブメントに一役買ったことは間違いありません。

松生恒夫

松生恒夫

昭和30(1955)年、東京都出身。松生クリニック院長、医学博士。東京慈恵会医科大学卒。日本消化器内視鏡学会専門医・指導医。地中海式食生活、漢方療法、音楽療法などを診療に取り入れ、治療効果を上げている。近刊「ビートルズの食卓」(グスコー出版)のほか「『腸寿』で老いを防ぐ」(平凡社)、「寿命をのばしたかったら『便秘』を改善しなさい!」(海竜社)など著書多数。

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