2020年11月に「翼状片」という病気で目を片方ずつ、計2回手術しました。手術時間は30分ぐらいで、入院する必要もなかったので、初めに右目を手術した日には、夜に人に会う予定を入れていました。一応、先生にも「行って大丈夫ですか?」と確認してOKだったので行く気マンマンだったのですが、終わってみたらそれどころじゃなくて、予定はキャンセル……。その日は昼間からカーテンを閉め切って部屋で寝ました(笑い)。
翼状片が分かったのは約15年前になります。2006年ごろ、目頭側の白目が充血するようになったのです。
朝起きた時点から赤くて、練習終わりはさらに赤くなるので、眼科を受診したら「翼状片」と診断されました。
この病気は、白目の結膜が異常に繁殖して黒目(角膜)の上にかぶさるように膜が広がる病気です。重症化すると乱視になり、視力が低下するといわれています。
主な原因は紫外線とほこりらしいので、屋外スポーツ選手にはそれほど珍しくないようです。あとから「自分もそうです」という話をたくさん聞きました。
幸い、充血があっても視界は良好で、痛くもかゆくもないですし、プレーにはまったく影響がなかったので、現役中は点眼薬でしのいで、手術は引退してからしようと決めました。
案の定、引退してメディアの仕事が増えると「目赤いね。寝不足?」「飲み過ぎですか?」と言われることが多くなったので、「やっぱり手術をやらんといかんな」と思ったわけです。
■痛みはないけど怖かった
手術は、患部の膜を切り取って正常な膜を張り付けて縫うという内容でした。先生の「そんなに難しい手術ではありません」との言葉通り、当日は服の上から簡易な手術着を着て、専用の椅子に座って手術が行われました。
上を向いていると瞼が閉じないように目の上下をテープで引っ張られ、さらに目を見開いたまま固定される機械がセットされて、これ以上ないほど目が無防備な状態になりました。それだけでも怖いのですが、そのあと点眼薬がかかり、「では始めます。麻酔します」との言葉とともに注射器が……。点眼薬で視界はぼやけているものの、自分の目に注射器の針先がどんどん迫ってきて、刺さるのが分かりました。痛みはないのですが怖かった。
何度か針を刺して麻酔が終わると、次は「目を下に向けてください」と言われ、鼻の先を見るようにしていました。要は眼球の上の方から正常な膜を採取したのです。そのあと病変を切り取り、正常な膜を張り付けて縫いました。
コンマ何ミリという世界を拡大する手術用のゴツイ眼鏡を掛けた先生が縫うこと5針。痛くはないですが、針が入る瞬間や糸で引っ張られる感覚はあって、先生の手が行ったり来たりするのをまばたきもできずに見ていました。経験したことのない緊張が続いたので、終わったときには精神的にかなり疲弊しました。
その後、糸がゴロゴロする違和感に耐える日々が10日以上あり、抜糸になります。その工程を左目でもやって、今に至っています。
一時的に落ちた視力もすっかり戻りましたし、充血もなくなりました。ただ、しっかりした一重瞼がうっすら二重になったので、「顔いじった?」と誤解されることだけが“後遺症”です(笑い)。
今回の経験を通してビックリしたのは、眼科にやって来る高齢の方々の多さです。年齢を重ねると目の病気になる人がこんなにいるんだと思って、自分の老後のためにももっと目をケアしていかなくちゃいけないなと思いました。
今実践しているのは、処方された点眼薬を3種類とサングラスをかけることです。「カッコつけてる」と思われてしまうのですが、目を紫外線から守るためには必要なこと。
今後、そんな目のケアの情報も発信していきたいと考えています。
(聞き手=松永詠美子)
▽播戸竜二(ばんど・りゅうじ)1979年、兵庫県生まれ。高校卒業後、Jリーグの「ガンバ大阪」に練習生として入団。U-19、U-20の日本代表、99年ワールドユース選手権のメンバーとしても活躍した。「ヴィッセル神戸」在籍時の2004年には得点ランク3位。その後も移籍を繰り返しながら現役を続け、19年に引退。20年からJリーグ特任理事(非常勤)を務めている。サッカー解説者として各種メディアに出演するほか、ユーチューブチャンネル「播戸竜二のおばんざい屋」も開設。
独白 愉快な“病人”たち
目に針先が迫ってきて…播戸竜二さん翼状片の手術を振り返る
播戸竜二さん(元プロサッカー選手・サッカー解説者/41歳)=翼状片