50代独身男性と80代老親のコロナ闘病記

<6>自分は退院も、重症化一歩手前の母に後ろ髪を引かれる思い

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写真はイメージ(C)PIXTA

 55歳で糖尿病を抱える私は治療のおかげで順調に回復している。一方、85歳の母親はなかなか症状が改善しない。

 入院9日目朝。私は肺の影が薄く、範囲も小さくなった。翌日の退院が確定。母は症状が続き、レムデシビル投与開始。1クール5日間の予定。

 14時。看護師さんから連絡がある。

看:「お母さまの症状の改善がゆっくりであるため、早めに2クール目、追加の5日間分を厚労省に申請します。同意していただけますか?」
私:「もちろんです。お願いします」
看:「Kさんは明日退院ですが、お母さまがご無事で退院できるよう陰ながら精一杯尽力いたします。お母さまは毎日、『明日帰る』とおっしゃり、いつも帰る日を心待ちにされていますね」
私:「ありがとうございます。コロナも長期化。最前線の負荷は半端じゃないですね。そしてもう少し続きそうです。大変でしょうが、お体大切にご活躍ください」

 入院10日目9時。退院。看護師さんに誘導される。想定した導線(非常用エレベータ)へ向かう途中、「擬陽性の患者さん待機所」の動線と重なってしまった。立ち止まる看護師さん。師長さんに電話している。いったん部屋に戻って待機となる。

 9時10分。看護師さんが迎えに来た。コロナ患者、コロナ疑い患者の交錯をうまく回避する。徹底的な非接触を目指す感染対策。またしてもコロナ医療最前線の医療スタッフにかかる負荷を垣間見た。

 私はおかげさまで生きて帰れた。病院には感謝しかない。治療で最もつらかったのは、入院直後の症状のピーク時だった。「一緒に退院しようね」と励まし合っていた母はまだ予断を許さない厳しい状況だ。コロナ病棟なので見舞いにも行けない。母は症状が改善せず、長期化し、気持ちで負けている。後ろ髪を引かれる思いだ。

 思えば、母はコロナを恐れて一切外出しなかった。私から家庭内感染したのは明らかだ。母への悔悟の思い。これで万が一、最悪の事態になったらどうしよう。一生の不覚である。精神的にはこれが一番つらかった。それなのに、自分が先に退院する。

 10日ぶりに自宅に帰った。看護師さんから母の紙おむつ、パジャマを届けて欲しいと言われた。帰宅後、すぐに母の荷物をまとめ、とんぼ返りで病院に向かった。看護師さんの負担を考え、病棟まで届けると言ったが、私はまだ健康観察期間である。感染症対策で、警備室の前で受け渡しをした。

「入院中はお世話になりました。母が引き続きお世話になります」

 地下駐車場までは階段で降りる。足腰がふらふらしている。相当、筋力が弱っている。(つづく)

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